役員等 |
|
連絡先 |
〒857-0401 佐世保市小佐々町黒石339-48 ジェイ・アール・シー特機株式会社 佐世保事業所内 公益財団法人 水交会佐世保支部 TEL:0956-68-3335 FAX:0956-68-3454 |
支部運営規則 | https://suikoukai-jp.com/suikoukai/wp-content/uploads/2024/04/水交会佐世保支部運営規則.pdf |
時局講演会(講師:吉田正紀氏)を開催しました
佐世保水交会は、9月29日(日)JA佐世保ホールにおいて、第40代佐世保地方総監として佐世保地方隊を指揮された吉田正紀氏を講師としてお招きし、時局講演会を開催しました。
吉田氏は、現在、防衛大臣政策参与としてご活躍されており、また、ワシントンDCにおいて双日米国副社長として、政・財・官に亘る幅広いヒューマンネットワークを駆使し、日米同盟の強化と発展にご尽力されています。
講演会には、佐世保水交会会員約40名、防衛協力団体等約30名、佐世保地方総監部の稲田幕僚長、江畑第2護衛隊群司令を含む現役隊員約70名、宮島大典佐世保市長、市議会議員を含む佐世保市民等約70名、合計210名もの参加者が集い、米国大統領選挙を控えた米国内の情勢を含む、混沌と緊迫化する国際情勢について、メディア情報だけでは知ることのできない旬で貴重なお話を伺うことができました。
話の内容に加えて、吉田氏のユーモアに富んだ話は、聴衆を魅了し、予定していた2時間はあっという間に過ぎ、濃密で有意義な講演会となりました。
また、講演会前日の28日(土)には、総監時代に、カウンターパートとして深い絆を紡がれた朝長則男前佐世保市長をはじめ、吉田氏を敬愛して止まない面々が発起人となって盛大に前夜祭が開催され、大いに盛り上がりました。
このような催しは、海上自衛隊と佐世保市民の絆を強化し、海上自衛隊の活動に対する理解の促進に寄与できたものと考えています。佐世保水交会は、今後もこのような企画を実施し、水交会会員のみならず佐世保市民の国防意識の啓発に努めてまいります。
海軍兵学校針尾分校の碑の清掃活動を実施しました
この碑は広島県江田島(現江田島市)に在学された海軍兵学校78期約2000名の方々が昭和20年4月から7月までの間、長崎県佐世保市の針尾島(現ハウステンボス近傍)に移転した分校で過ごされたことを記念し、平成4年に建立されたものです。
78期の皆様も高齢となり、平成19年以降佐世保水交会が委託を受け維持管理しています。2ヶ月に1度程度の清掃を実施しており、今回は9月8日に行いました。当日は残暑が厳しかったものの、午前8時から3人がかりで高圧洗浄機も使って1時間ほど清掃し、すっかりきれいになりました。
祖国の安寧を願い青春を捧げた篤い思いを次世代に繋げていくのが我々の務めだと思います。佐世保水交会はこのような活動を今後も続けていきます。
佐世保海軍墓地 お盆供養 に参列しました
佐世保水交会(会長 梅崎時彦を含む10名)は、令和6年8月14日(水)に行われた佐世保海軍墓地保存会主催の佐世保海軍墓地(佐世保市東山町)お盆供養に参列しました。
佐世保海軍墓地には、明治以来の戦没者17万6千余柱の英霊と併せて、海上自衛隊殉職者の霊名簿が奉納されております。国のため、家族のため命をささげられたおかげで、先の大戦後79年間にわたる平和が今も保たれていることに感謝し、そのことを次の世代に語り継いでいかなければならないと、あらためて痛感しました。
0
佐世保海軍墓地 お盆供養 一斉清掃に参加しました
佐世保水交会(会長 梅崎時彦)は、令和6年8月14日(水)に行われる佐世保海軍墓地(佐世保市東山町)お盆供養に向けて8月4日(日)実施された清掃活動に参加しました。
当日は、このところ続く猛暑のなか、佐世保水交会会員(会長を含め11名)、佐世保海軍墓地保存会、海上自衛隊OB合わせて総勢32名が墓地美化のため汗を流しました。
令和6年度水交会佐世保支部定期総会を開催(新態勢に寄せて)
佐世保水交会は、令和6年4月13日(土)、佐世保市内のJAさせぼホールにて、令和6年度定期総会を開催しました。 本総会は、例年と大きく異なる点があり、このことを踏まえ、様子をご紹介いたします。
【会長交代】 会長は、本定期総会をもって、外村尚敏から梅崎時彦に引き継がれました。
外村前会長は、4期8年の長きに渡り、佐世保水交会を牽引、この間、コロナ禍による各種行事の自粛等、数々の懸案事項が生起しましたが、直球勝負の精神でこれらに向き合い、態勢の維持・拡大に貢献されました。 実施事業の一つを紹介しますと、海軍兵学校最後の生徒でつくる海軍兵学校第七十八期会から、テーマパーク「ハウステンボス」に隣接する「海軍兵学校針尾分校の碑」の維持管理業務の委託を佐世保水交会が受けていましたが、これを水交会本部との覚書に格上げ変更し、末永く佐世保水交会が継承できるよう軌道に乗せたことがあります。
本件に関しては、記憶に残ることがあります。 当該事業を進めるに当たり、会長をはじめとして、会員数名が海兵七十八期会の要人である上戸氏と長崎市内で懇談の機会を得たときのこと。 氏は、針尾分校において、教官から、「敗戦が近いこと」及び「戦後を担っていくのは君達である」というようなニュアンスのことを聞いた記憶があると、しみじみ語られました。戦後、海兵出身者は政財界で活躍され、日本復興の礎を築かれたことは、周知のとおりです。当時を生きた人から、史実として生の声を聞けたことは、正に貴重な経験であり、良き思い出となりました。
梅崎時彦新会長は、佐世保教育隊司令を最後に6年前に定年退職し、現在、佐賀県唐津市在住です。 総会において、「会長就任は、自衛隊に対する恩返しの絶好の機会であり、精一杯尽力する」旨、語られ、その思いは、会場を熱く包みました。
【講 話】 俵 千城佐世保地方総監からは、「潜水艦部隊の概要」と題して、潜水艦の構造や特質、潜水艦要員の教育体系等について、ユーモアあふれる講話をいただきました。
なお、俵総監は、潜水艦隊司令官の要職を経験されており、我が国周辺海域における脅威を考えたとき、正に海上防衛に必要な方といえるでしょう。
斎藤 聡自衛艦隊司令官からは、「自衛艦隊の現状など」と題して、これまでの勤務経験で、特に印象深いことを中心に講話をいただきました。 斎藤自衛艦隊司令官は、総会前日に行われた護衛艦「あけぼの」派遣海賊対処行動第46次水上部隊の帰国行事のため来佐され、この機を得て講話をお願いしたものです。 お話しの中で、次の件は、特に印象深いものでした。
司令官が、広島県江田島市にある海上自衛隊幹部候補生学校の校長のときのこと。 平成30年7月豪雨により、河川の氾濫、浸水害、土砂災害等が発生し、最終的に、死者237名(広島県115名、岡山県66名、愛知県31名、他府県25名)、行方不明者8名、重軽傷者は432名にのぼりました。 学校長は、この状況に意を決し、連休を含む数日間、幹部候補生を災害派遣の任に従事させたとのこと(防衛省の資料によれば、主に「給水支援」と思われます。)。 任務を終えた候補生は、異口同音に、「国民に対する奉仕の精神を自覚」した旨、心中を吐露したとのことでした。 生きることが圧倒的に簡単になった時代においては、なかなか、生きる意味を見出せなくなるもの。 これは、まさしく人の生きる力をはぐくむ心の教育であり、深く感銘を受けた次第です。
斎藤自衛艦隊司令官の講話 俵佐世保地方総監の講話
【懇親会】 多数のご来賓のご臨席を得て、衆議院議員 金子容三様、佐世保市長 宮島大典からご祝辞を賜った後、しばしの歓談となりました。
固き握手(右:梅崎新会長 左:外村前会長) 梅崎新会長のあいさつ
佐世保市を牽引される各界の方々が一同に集い、水交会が目的とする「海上自衛隊が行う諸活動への協力」及び「諸団体との積極的な交流による国政の健全な運営の確保」に寄与することができたものと考えます。 梅崎新会長のもと、佐世保水交会は新たな態勢を始動、さらに力を合わせ、引き続き、海上自衛隊に対する協力支援を推進してまいります。 関係諸団体等におかれましては、引き続き、ご支援ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
(文・写真:副会長(当時) 細國 春夫 写真:副会長 林田 嘉信)
参考資料:平成30年7月24日防衛省 平成30年豪雨に係る自衛隊の災害派遣について(12時00分現在)
令和5年度水交会佐世保支部定期総会に寄せて(安倍元首相と硫黄島)
佐世保水交会(会長:外村尚敏)は、令和5年4月15日(土)、佐世保市内のJAさせぼホールにて、定期総会を開催いたしました。市内は、翌日、16日(日)からの統一地方選挙の佐世保市長選挙及び佐世保市議会選挙の告示を控えており、何となく気忙しさに包まれていました。
まず、総会について、お話しします。
議案審議が終了し、一般会員の方から、会員の減少を危惧するお声がありました。本件については、喫緊の課題として、その方策について検討を重ねてきたところです。 “退職後、OBとして何かできることはないか!?“という「ボランティア精神」の発露が重要な鍵であろうかと考えていますが、妙案というものは、なかなか思い浮かびません。 我が国を取り巻く真に厳しい安全保障環境下、私達のような支援団体も含めた、国の総合力が問われているところであり、一般会員の方々のお力も頂戴しつつ、引き続き、鋭意検討していく所存です。
次に、「今後の日本の安全保障と課題」と題して、元統合幕僚長 河野克俊氏による講演を拝聴いたしました。
開始早々、安倍晋三元首相が硫黄島で滑走路にひざまずき、手を合わされているお姿がスクリーンに映し出されました。
安倍元首相が硫黄島を訪問されたのは、政権の座に返り咲いて間もない2013年4月のこと。 硫黄島の視察を終え、次の訪問地、父島に向かう首相を河野元海上幕僚長が飛行場の滑走路に駐機していた飛行艇US-2まで先導していたときのこと。
「お見送りの際、飛行場の滑走路で突然、ひざまずかれて手を合わされた。恥ずかしながら私はどう対応していいのか、分からなかった。よく考えてみると、滑走路の下には、ご遺骨が眠っている。それを安倍元首相は、ご存じだったのだ。」1)
滑走路の下には、日米の戦死者のご遺骨が眠っている。 安倍元首相は、戦没者に対して、極めて強い哀悼の意をお持ちの方である、とも河野氏は語られました。 なお、このとき、マスコミはすでに先行して父島に向かっており、島内にはいなかったそうです。
平成27年4月29日、安倍元総理は、歴代の総理大臣として初めて米国連邦議会上下両院合同会議において、演説を行われました。
安倍元総理の後ろで演説を聴いているベイナー下院議長は、ポケットから何回もハンカチを取り出し、涙を拭いておられました。 その隣に座っているバイデン副大統領(現バイデン大統領)も、いまにも目頭を押さえそうな顔つきだったそうです。 また、この演説では、14回にも及ぶスタンディングオベーションがありました。2)
かつての敵、今日の友
みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。 70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
「硫黄島には、勝利を祝うために行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ。」
もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
熾烈に戦った敵は、心の紐帯(ちゅうたい)が結ぶ友になりました。(演説内容から抜粋)3)
安倍元首相は、どのような思いで、このシーンを作為されたのでしょうか。
滑走路にひざまずき、合掌されている安倍元首相は、今も私達に何かを語りかけておられるように思えてなりません。
「トップリーダーたるもの、世界観、歴史観を有していなければならない。 日本が多くの犠牲者の上に成り立っていることを忘れては、ならない。」河野氏は、熱く語られました。
第1列島線~第3列島線を引き合いに、見積もられる中国海軍の戦略及び今後の見通しを冷静な分析を交えて語られた河野氏の講話は、あっというまに定刻となってしまいました。
河野氏の、剣をペンにかえての引き続きのご活躍を切に願いつつ、投稿を終えることといたします。(副会長:細國 春夫 記)
参 考:
1)安倍元首相、硫黄島訪問で突然ひざまずき・・河野克俊元統幕長が当時を語る「自然とそういう行動に」YAHOOニュース ENCOUNT 7/12(火) 20:57配信
2) Ameba ブログ 猫の遠吠え『次の世代に残したい日本』アメリカが泣いた!2015-05-02
3) 外務省HP 米連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説「希望の同盟へ」(2015年4月29日(米国東部時間))
海賊対処行動及び第8護衛隊(すずつき)激励
佐世保水交会は、令和4年9月8日(木)、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動及び中東方面の情報収集のために派遣される第8護衛隊司令 飯ケ谷 孝広1等海佐及び「すずつき」艦長 岩森 雄飛2等海佐に対して、水交会からの激励品を外村佐世保支部会長からお渡しし、部隊を激励しました。また当日、所用で面談できなかった「すずつき」先任伍長にも同様の激励品を岩森艦長からお渡ししていただきました。
部隊は9月18日(日)に佐世保を出港した後、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため日本近海において14日間にわたり訓練等を行いつつ乗組員の健康観察を実施した上で、ソマリア沖・アデン湾に向け進出するとのことです。
本任務は、新型コロナ感染拡大前においても困難なものであったのが、感染防止のためさらに諸制約がかかり、乗員の皆様のご苦労は大変なものだろうと思われます。しかし、海上自衛隊ひいては、我が国のプレゼンスが中東方面や進出経路のシーレーンで示されることの重要性は論を待たないと考えます。大変でしょうが、無事の任務完遂を祈念いたします。
激励には、佐世保水交会副幹事長 甲斐義博も参加しました。甲斐副幹事長は、足が悪く、桟橋の下から激励するつもりでしたが、飯ケ谷司令、岩森艦長とも、わざわざ、岸壁まで下りてきてくださり、甲斐副幹事長も司令、艦長と懇談・激励することができました。ご配慮に感謝いたします。
(水交会佐世保支部)
令和4年度佐世保水交会定期総会に寄せて
佐世保水交会(会長:外村尚敏)は、令和4年4月9日(土)、佐世保市内の大規模総合施設・アルカスSASEBOにて、定期総会を開催しました。 佐世保市は、本年1月21日(金)、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、「まん延防止等重点措置区域」に指定され、3月6日(日)にようやく解除されました。 総会開催予定期日を1か月後に控え、会長及び関係幹事は、準備期間も十分にないまま東奔西走の日々を過ごし、ようやく実施にこぎつけることができました。
さて、本総会において、特筆すべき事項を何件かご紹介します。 まずは、「役員の選任」につきまして、外村会長が4期目の再任に至ったことです。 役員は、2年を1任期とし、再選については、特に制限がありません。
外村会長は、後進に道を譲るべく、3任期目の職責を果たしましたが、諸般の事情により後任者を得られませんでした。 やむなく、外村会長には、もう1任期の再任をお願いし、会長は、次期新態勢への円滑なシフトを勘案した役員の選任・任命を実施されました。
思い起こせば、会員数の減少が非常に危惧される情勢において、外村会長は、各種の手段を策定し、その抑制に誠心誠意尽力されてきました。
また、「海軍兵学校針尾分校の碑」については、海軍兵学校第七十八期から委託を受け、諸調整を経て、同碑の清掃作業やメンテナンスなどの維持管理業務を軌道に乗せたのも外村会長でした。 外村会長には、“誠に申し訳ございません”と、合掌の一心であり、あと2年間、老体?にむち打ち、よろしくお願いする次第です。
次に、会長からのたってのお願いで、千葉敢三副会長に「顧問」への就任をお引き受けいただいたことです。 他の顧問の方々とともに、引き続き、佐世保水交会の道しるべとして、有用な意見を賜りたく、幹事一同、切に願うものです。
質疑においては、一般会員の方から、「護衛艦の出入港行事に是非とも参加したい。叶わなければ、遠くからでも送迎いたしたい。」との熱い発言がありました。 このような方々一人一人の思いが、我が国の国防を支えていくものと痛感しました。 しかしながら、新型コロナウイルス感染は、一進一退の状況が続き、自衛隊の活動にも暗い影を落としています。 また、北朝鮮の断続的なミサイル発射、中国の力による一方的な現状変更の動き、更には、ロシアのウクライナ侵攻など、我が国を取り巻く情勢は、現実味を帯びて、極めて厳しいものがあります。 水交会においては、「今、できないこと。してはならないこと。」を見極めることもまた重要な活動であり、会員の方々には、今しばらくのご辛抱をおい願いする次第です。
最後に、佐世保市長 朝長則男様をはじめとするご来賓のご臨席を得て、佐世保地方総監 西成人海将の講話を拝聴いたしました。
西総監は、海上幕僚副長から、昨年12月22日に着任されたもの。 鹿児島県出身ながら、海自大村航空基地に4回も勤務経験があられ、何となく、「じげもん」(長崎の方言で、地元の人の意味)のような親近感を感じたのは、私ばかりではないと思います。
演題は、「今後の海上自衛隊の方向性と課題」であり、我が国を取り巻く国際環境がこれまで以上に速いスピードで厳しさと不確実性を増している中、海上自衛隊が定めた「海上自衛隊戦略指針」について講話を賜りました。 西総監の、ユーモアにもあふれた、真摯なお人柄に触れ、在りし日の現役隊員としての自覚が呼び戻されたような時間を過ごしたのは、私だけではないと思います。
宣戦布告もなくウクライナに侵攻したロシア軍による、目をおおいたくなるような民間人に対する凄惨な虐殺を見るにつけ、日本国民の生命・財産、領海等を守り抜く海上自衛隊への協力を行う水交会の活動は、ますます重責となっています。
佐世保水交会会員の絆が更に深まり、その活動が少しでも海自や地域社会のお役に立つことを切に願いつつ、投稿の筆を置くことといたします。(副会長:細國 春夫 記)
中東方面に派遣される第2護衛隊司令・護衛艦はるさめを激励
令和4年5月13日(金)ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動(中東方面における情報収集活動兼務)のために派遣される第42次派遣海賊対処行動水上部隊である第2護衛隊司令(派遣部隊指揮官)及び護衛艦はるさめに対して、水交会から外村尚敏佐世保支部会長他1名が激励品を贈呈しました。
統幕からの報道資料によれば、同部隊は、日本近海において14日間にわたり訓練等を行いつつ乗組員の健康観察を実施した上で、ソマリア沖・アデン湾に向け進出する予定であり、寄港地での上陸も制約を受ける模様です。
今、我々の目は、ロシアによるウクライナ侵攻、あるいは、北朝鮮によるミサイル発射、そして、中国による覇権主義的現状変更の試みなどに向いている。しかし、このような時期にエネルギーの確保等、我が国にとって重要な中東方面及びそこに至る海上交通路において不測の事態が発生しない保証はなく、またその場合、現下の情勢下では、影響はより重大なものとなる。
帝国海軍、海上自衛隊には、「左警戒右見張り」[i]という言葉があり、このような状況下でこそ、これら地域に海上自衛隊がプレゼンスを示すことは、大きな意義があり、派遣される部隊の隊員方は、長期間家族と離れ、困難な環境での任務となるが、任務の完遂を祈念いたします。(水交会佐世保支部)
[i]元自衛艦隊司令官 香田洋二海将は、「「左警戒右見張り」昨今の安全保障・防衛論議で気にかかること」(水交誌No.643 平成28年盛夏号)において、元統合幕僚会議議長 板谷隆一海将の著書「左警戒右見張り」について触れ、「「左警戒右見張り」の言葉を通じて板谷さんが言いたかったのは、「強敵と左舷で戦う時にはそちらに一点・全力集中してしまうのが人の常であるが、そのような時こそ必ず反対の右舷の見張りを確実にしなければならない。思わぬ大失敗は、全体に対する配慮という基本ができていなかったときに喫するものであり、それが戦理」である。」と述べている。
日本海海戦116周年記念式典を実施
佐世保水交会では、毎年、日本海海戦において連合艦隊がバルチック艦隊に勝利した5月27日に海上自衛隊佐世保OB会と共催で同海戦の勝利を祝賀し、その偉業を通じて国を守る使命及び伝統の継承を図るとともに、国に殉じられた日本海軍の英霊と海上自衛隊殉職隊員の御霊を慰霊するため、会員はもちろん、多数の来賓の方々、また佐世保地方総監をはじめとする海上自衛隊員の方々のご参列を得て記念式典を執り行っている。
昨年の115周年記念式典は、新型コロナウィルスの感染が急速に拡大している時期であり、早い段階から主催団体の代表により献花のみを実施することを決定したが、本年度については、関係者に案内状を送付し、感染状況を勘案し、最後まで、昨年より規模を拡大した形での開催を模索した。
しかし、5月に入り、全国的に感染は拡大、長崎県においても感染ステージが最高のステージ5に引き上げられ、県下全域に「医療危機事態宣言」が発令されていたこと、特に、このウィルスの変異株については、その感染力に未知の部分があることから感染拡大の防止と参加者の安全確保のため、本年も感染予防措置をとって主催団体の代表等のみで行事を実施することとした。
当日は、最初に主催者を代表して、佐世保水交会外村尚敏会長及び海上自衛隊佐世保OB会広井豊明会長が、旧海軍の英霊17万6千余柱及び海上自衛隊の殉職者の御霊152柱がともに眠る「海の防人の碑」に献花を実施し、引続き、本行事の支援団体である佐世保海軍墓地保存会玉井晃会長に献花をしていただいた。
その後、参加者総員で東郷平八郎元帥に代表される当時の海軍の方々のご功績に敬意を表するため、同墓地内にある東郷元帥像を拝礼した。
なお、旧海軍関係者として飛龍会会長福田俊郎様も参加していただいた。
本行事の大きな目的の一つは志半ばで斃れた御霊を慰霊・顕彰することである。
そして、それとともに、もう一つの大きな目的は伝統の継承である。伝統は、自分たちが所属する組織のアイデンティティを明確とし、伝統の築かれた歴史を背景にその組織の一員であるという誇りを醸成し、困難な場面において精神的な支えとなる。
また、京都大学の中西輝政名誉教授によれば、伝統、家族、習俗的な宗教などの古くから続く価値観を共有する組織では、構成員が落ち着いた安定的な精神状態となり、その判断は穏健で健全なものとなるとのことである。一方、例えば、共産主義国家、あるいは全体主義国家では、為政者は、既存の古くからあるこのような価値観を禁止し、あるいは破壊する。そうすると人は、精神的に不安定となり、そこに為政者は自分たちに都合のいい過激なイデオロギーを刷り込み支配していくとのことである。このように伝統により支えられた精神は、安定的であり、バランスの取れた健全な判断に寄与する。
さらに伝統は、単に古いものを守り、新しいものを否定することではない。なぜなら伝統の価値は、それなくしては、新たな思想の受容そのものが不可能なもの[i]として、形骸としての過去を否定し、創造性を発揮することにより正しく過去とつながること[ii]ができることであるからである。
このため、来年度は、是非、多くの来賓の方々、特に海上自衛隊員の方々の参加を得て、この目的を達成していきたいと考える。
(佐世保水交会)
[i] 坂本多加雄「市場・道徳・秩序」創文社 pp77
[ii] 岡本太郎 「日本の伝統」光文社 1956年9月 pp223
護衛艦「あきづき」出港に寄せて
佐世保水交会(会長:外村 尚敏)は、4月18日(日)、佐世保を出港する護衛艦「あきづき」を、高後崎(こうござき)から見送った。
護衛艦「あきづき」は、中東地域における日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集活動のために派遣されるもので、指揮官等は、「第5護衛隊司令 1等海佐 長村 久光(おさむらひさみつ)」、「艦長 2等海佐 中澤 憲弥(なかざわのりや)」、隊員数は、約220名である。
護衛艦による情報収集活動は、中東地域での日本関係船舶の安全確保に関する取組みとして、2019年12月27日(金)に閣議決定され、2020年1月10日(金)に河野防衛大臣が派遣を正式に命令した。 これまでに、第1次隊として護衛艦「たかなみ」に始まり、現在、第4次隊として護衛艦「すずなみ」が派遣されている。 護衛艦「あきづき」は、5月後半、護衛艦「すずなみ」から任務を引き継ぐ予定である。
本情報収集活動の背景について、少し触れてみたい。
2019年6月13日、ホルムズ海峡近くのオマーン湾を航行していたタンカー2隻が、不明の攻撃体から複数回の攻撃を受け、船体が大きく破損したと報じられた。うち1隻は、日本の海運企業が運航するパナマ船籍のタンカーであった。事案に前後し、各国のタンカーが妨害行為を受けており、米国は、イランの関与に言及した。イランとの関係が悪化したアメリカのトランプ前政権は、ホルムズ海峡の安全確保のためとして、いわゆる「有志連合」への参加を日本に求めたのに対し、日本は、イランとの関係も考慮して参加せず、一方でアメリカと情報共有面で連携する、独自の取組として、本派遣情報収集活動を始めるに至った。
イランと日本との関係に触れると、百田尚樹氏著の小説「海賊と呼ばれた男」に書かれた、出光興産所有のタンカーにまつわる、「日章丸事件」がある。
1917年からイギリスは、イランを占領していた。 第2次大戦後、イランはイギリスから独立していたが、石油資源は、イギリス資本の石油会社の管理下にあった。 イランは、石油資源の国有化を宣言するが、イギリスはイランの石油の所有権はイギリスにあると主張し、中東に軍艦を派遣、他国のイランからの買い付けを一切禁止したのである。昭和28年3月23日、神戸港から一隻のタンカーがイランに向けて出港した。 日章丸である。イギリスの監視をかいくぐり、同年4月10日、無事にイランのアーバーダーン港に到着する。イランの人々は、熱狂的に歓迎した。翌日の地元の新聞に、日章丸の姿が大々的に掲載された。
“時”は、現在。 4月19日付の報道によれば、2016年の断交以降、激しい対立が続くイランとサウジアラビアが、イラク首相の仲介により、イラク・バグダッドで関係修復に向けた協議が始まった可能性があると伝えている。
次は、日本(人)。 駐サウジアラビア岩井文雄日本大使は、3月17日、サウジアラビア国王に対し、オンライン方式により信任状を奉呈した。(どこかの国の駐日大使?は、何ヶ月経っても今だ奉呈式すら済んでいないらしいが・・・)岩井大使は、2015年9月からイラク大使となり、イラクでは、「イラクの歴史の中で最高の外交大使」と呼ばれ、離任の際、SNSで、「この人は、間違いなく世界最高の大使。これだけ赴任先の国民と深い絆をもった大使は、どこにもいない。イワイ大使、イラク国民は、あなたを愛しています。」との声もあったほど。
4月16日、管首相とバイデン米大統領との首脳会談で、「台湾の平和・重要性認識」「香港・ウイグル人権懸念」の共同声明に対し、中国の在日本大使館報道官は、「強烈な不満と断固たる反対」を表明した。
- 写真 林田幹事撮影 -(手前に座る方々は、場所を譲ってくれた親切な釣り人)
世界は常に変動しており、歴史、経済、人権等、いろいろと複雑な要素がからみ合っている。この中で、日本の動きだけを見てみると、「人と人とのかかわり合い」というものが特に大きな比重を占めているように思えてならない。
4月18日、コロナ禍により、外村会長を除き倉島岸壁での護衛艦「あきづき」出国行事への参加がかなわなかった水交会会員有志は、いつものように、平戸藩高後崎番所跡突端に集結した。
1130、護衛艦「あきづき」から、我々を視認した旨の発光信号とともに、艦上から“帽振れ”のあいさつが送られ、我々も一所懸命に応えた。この後、護衛艦「あきづき」は、派遣に向けた準備の一環として乗組員全員に対し、PCR検査を実施するとともに、日本近海において、14日間にわたり訓練等を行い、乗組員の健康観察を実施した上で、中東方面に進出するという。オマーン湾等の活動海域で護衛艦「あきづき」が掲げる「日の丸」と「自衛艦旗」は、それ自体は、小さなものでも、正に日本と日本人の心を中東地域に示す偉大なものであるということを心に刻み、任務を完遂されんことを切に願うものである。(副会長:細國 春夫 記)
参 考
1 「オマーン湾でタンカー2隻攻撃、日本関連船舶も」『JETROビジネス短信』。2019年6月14日
2 「中東での海自情報収集活動、第5次隊として「あきづき」を派遣 4/18出港」『船舶ニュース』。2021年4月8日
3 「海自・護衛艦あきづき 佐世保を出港 第5次中東派遣、情報収集活動へ」『長崎新聞社』。
4/19(月)11:40 配信
4 「海自中東派遣1年 活動はいつまで?」『NHK解説アーカイブス』。2021年2月26日(金)
5 「イランが親日国になった理由=日露戦争と日章丸事件」『ニッケイ新聞』。4/19(月)
今年も練習艦隊を高後崎で出迎え・見送り
令和3年度練習艦隊の国内巡航における佐世保入港時の歓迎・見送り行事は、昨年度の部外者が参加できない形態から、各団体の代表者のみは岸壁で歓迎、見送りできることとなり、佐世保水交会からは会長他1名が岸壁の行事に参加した。
しかし、例年の行事に比べやや寂しいことは否めない。また昨年度遠洋航海は、寄港地での上陸も許されない厳しいものであったとのことであり、今年も同様に厳しい遠洋航海となることが予想されることから、佐世保水交会では、昨年に引続き、高後崎船番所跡にある船溜まりの石積みの突堤から練習艦隊の出迎え・見送りを行った。
出迎えの際は、どうしても練習艦隊を出迎えたいとわざわざ大阪から駆け付けた関西防衛を支える会の渡邉様なども加わり自衛艦旗、水交会旗を振り、練習艦隊(練習艦「かしま」、掃海母艦「うらが」、訓練支援艦「てんりゅう」)を歓迎した。練習艦隊からは、帽振れ、信号灯による発光信号、心に響く汽笛の長一斉の吹鳴で答えていただいた。
見送りの際は、嘗ての海の男達もすっかり潮気が抜けていたのか、予想外に早く通狭した「てんりゅう」の見送りに間に合わないという失態を犯してしまった。しかし退官後、現在も佐世保港の水先案内人として潮気の抜けていない林田幹事のみは早めに到着し、「てんりゅう」の通峡時の写真だけは撮影できた。
「てんりゅう」の分も含めてまだ春浅い大湊に向かう「かしま」、「うらが」に旗を振り見送りを実施した。
例年であれば練習艦隊の随伴艦は、練習艦以外では、護衛艦が派遣される。もちろん掃海支援、機雷敷設など高い運用術科能力[i]を持つ掃海母艦及び難しい標的機の運用を行う訓練支援艦は、実習幹部のシーマンシップを涵養するためにはよい艦である。しかし戦術等よりバランスのとれた教育のためには護衛艦の随伴が最適であろう。出迎え・見送りに参加した我々は、海上自衛隊が少ない兵力をやりくりして、増加した任務に対応するためにいかに苦労しているかを実感した。
昨年度の遠洋航海は、困難なものであったが実習幹部は、「ネアカノビノビヘコタレズ たくましくならむ」と成長して帰国し、また海上自衛隊としても初の北極圏航行を行うなど、逆境をチャンスに変えるたくましさを見せてくれたとのことである[ii]。本年度も同様に困難な中にも工夫を凝らし大きな成果を上げて帰国されることを確信している。
実習幹部は、帰国後、特に艦艇要員は、直ちに艦艇に配属され、ソマリア・アデン湾での海賊対処、中東における情報収集活動、そして、力による現状変更を試みる中国への対応などにあたることとなると考える。
がんばれ練習艦隊!がんばれ実習幹部!
※1この番所跡周辺は私有地であり、佐世保水交会では、特別にお断りをして見送りを実施させていただいたものです。
※2上記事情により付近の方にご迷惑をおかけしないこと及び新型コロナウイルス感染拡大防止を考慮し、広く参加者を募らず少人数での歓迎・見送りといたしております。
(佐世保水交会)
[i] 出入港時の各種甲板作業、洋上での重量物の取扱い、標的等の投入・揚収、曳航など帆船時代から続く艦上での作業にかかわる術科
[ii] 木津忠則 「八木練習艦隊司令官、コロナ禍の「令和2年度遠洋練習航海」を語る。」 水交 No662 令和3年陽春号 pp.70
日本遺産・凱旋記念館において総会・講演会を開催
佐世保水交会では、令和3年4月10日、万全の感染防止策を取って令和3年度総会及び講演会を実施した。
実施に当たっては、懇親会は当初から実施できないと判断していたが、総会及び講演会もコロナウィルスの感染防止の観点から、無理に実施する必要はないのではとの意見もあった。しかし2年連続総会を実施しないことは、会務運営上、また会員をはじめステークホルダーに対する責務の観点からも避ける必要があり、感染拡大状況によっては直前でも中止することを前提に万全の感染防止対策を取って計画を進め、佐世保市の感染状況が落ち着いていたことから実施することができたものである。
感染防止のため、参加者数が収容率の50%以下となる佐世保市民文化ホール(旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館)を会場として選定し、内閣官房発出の新型コロナウィルス感染症対策の基準、イベント開催時の各ガイドラインをより厳密に適用するとともに、元海自衛生員の直木幹事による問診態勢の確立及び参加者の健康観察、現役の方については出入り口を別にするとともに他の参加者との間を開け、混在をしないように配慮するなど独自の対策も取り、感染防止に万全の態勢をとった。
総会においては、冒頭、コロナ禍、出口佳努佐世保地方総監と着任後お目にかかる機会のなかった会員も多かったことから、出口総監からご挨拶をいただいた。国家の斉唱は行わず、海自東京音楽隊川上良司1等海曹の荘重な「君が代」の歌唱の音源を拝聴した。その後、昨年度と合わせ2年間にご逝去された会員に対して黙とうを捧げたのち、新入会員及び会員の叙勲者の紹介を実施した。そして議題の審議及び報告においては、会長及び事務局から、コロナ禍、特異な会務運営となっていることから、通常と異なることが多く、会務においていろいろ不十分なところがあるが、例年とは異なることを実施するため予想外の影響、考慮事項が多く、さらに今回の総会のように諸制約下で行事等を実施する場合に多大な労力がかかることから理解を得たい旨が説明された。
講演会においては、本年は、講師に前統合幕僚長、水交会副理事長でもある河野克俊氏を迎え、「今後の我が国の安全保障とその課題」という演題で、講話をしていただいた。
講演会には、北村誠吾衆議院議員、朝長則男佐世保市長をはじめとする来賓の方々、出口総監をはじめ現役の各級指揮官及び先任伍長、水陸機動団長などのご参加も得た。
講演内容は、講師の現役時代の豊富な安全保障にかかわる勤務経験に裏打ちされ、我が国の安全保障の今後の在り方に関する示唆に富んだお話や、思わず背筋が伸びる現在の国際情勢に関する厳しい認識など興味深い話であった。また、堅い話だけではなく現役時代の裏話等、ユーモア溢れる話題もあった。特に海上幕僚監部防衛課長当時、2001年9月11日に発生した米同時多発テロ事件の際、上司の防衛部長が米国から帰国できない事態となった際「いないほうが、やりやすいと思った」との冗談には、感染防止のため爆笑をこらえる方、笑おうとしたところ自分の上司がいることを思い出して笑いを押し殺すのに苦労されている方もおられた。
今回の総会・講演会の会場となった旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館は、大正12年(1923年)第1次世界大戦において地中海に派遣され活躍した第2特務艦隊などが佐世保鎮守府所属であったことから、その功績を記念して建設されたものであり、古典主義的デザインの外観が特徴的な建物である[i]。平成9年(1997年)には、国の登録有形文化財に指定されており、佐世保市の鎮守府にかかわる日本遺産の構成施設でもある。
第1次大戦において、我が国は、第2特務艦隊を派遣するなどして連合国の一員としての責務を果たし、戦後、国際連盟の常任理事国に就任するなど国際社会における名誉ある地位を確立した。そして現在、我が国は、バイデン米大統領が「21世紀における民主主義の有用性と専制政治との戦い」と評する[ii]国際情勢下、力による現状変更を試みる中国に対して自由で開かれたインド太平洋を守るため米国をはじめとする民主主義の価値観を共有する国々と共同している。
凱旋記念館を本講演会の会場に選定したのは、感染防止の観点からであった。しかし期せずして、同館は、第1次大戦から約1世紀の時を経て、この新たな国際社会の一員としての責務を果たすために大きな役割を果たす佐世保・大村所在の海上自衛隊、水陸機動団、そしてそれを支援する地元の方々及び水交会会員が集まって前統幕長の講話を拝聴していただくための適切な舞台装置となったと考える。
(佐世保水交会)
[i] 佐世保市作成「佐世保市民文化ホールパンフレット」からの引用
[ii] バイデン大統領は、就任後最初の記者会見において“This is a battle between the utility of democracies in the 21st century and autocracies.”と述べている。President Biden in Press Conference MARCH 25, The White House WH.gov
中東地域に派遣される第5護衛隊(あきづき)を激励・見送り
佐世保水交会では、令和3年4月12日、中東地域における情報収集活動のために派遣される水上部隊第5次隊(指揮官:第5護衛隊司令)護衛艦「あきづき」を激励した。
部隊側は、第5護衛隊司令の長村久光1等海佐、あきづき艦長の中澤憲弥2等海佐、先任伍長の柗本清人海曹長の3人が出迎えてくれた。
コロナウィルス感染防止のため、激励は、艦内には入らず、岸壁の「あきづき」の艦番号115番の前で実施された。佐世保水交会からは、携帯型のアルコール消毒液で手指を消毒したのち、お粗末なものであるが激励品のお菓子を贈呈し、困難な任務にあたって激励を行った。
昨年、テレビ東京で商船三井のコンテナ船「MOL TRIUMPH」のイギリスから日本までの航海の様子が放送された[i]。この番組は長期航海の大変さと海の美しい景色など船乗りならではの楽しみなどとともに、海洋国家である我が国を支える若き女性航海士をはじめとする日本人船員達の奮闘が紹介されたよい番組であった。その中で、緊迫した中東海域に入域した「MOL TRIUMPH」が海上自衛隊の護衛艦及び哨戒機から無線の呼びかけを受け安心する場面が出てくる。この海域に海上自衛隊が展開することの意義を改めて認識できた。
コロナ禍、部隊は、寄港地での上陸も制限を受け、大変だと考えるが、海上交通を確保し、貿易立国である我が国を支えるため、部隊の任務の重要性は論を待たない。
大変ですが、よろしくお願いいたします。また、出港前のあわただしい中、我々のために貴重な時間を割いていただいたことに感謝いたします。
(佐世保水交会)
[i] 2020年6月21日放送の日曜ビッグバラエティ「英国→日本25000㎞!超巨大コンテナ船に乗せてもらいました!世界大公開SP」
高後崎での護衛艦きりさめ出迎え
佐世保水交会は、10月26日に中東方面に派遣されていた派遣情報収集活動水上部隊(指揮官:第8護衛隊司令 横田和司1等海佐)「きりさめ」(艦長:白石豪2等海佐)の出迎えを平戸藩高後崎番所跡付近の防波堤から実施した。
同隊が5月に佐世保港を出港した際にも同じ場所で見送りを実施しており、帰国時は岸壁でお出迎えできることを願っていたが、残念ながら新型コロナウィルス感染防止のため岸壁での出迎え行事に参加できる人数が制限されており、出港時と同様、高後崎での出迎えを行った。
同隊は、出港後2週間は日本近海で訓練し、新型コロナウィルス感染者がいないことを確認して中東に向かい、現地で延べ約1万6千隻の船舶の動向を確認した[i]
中東・ホルムズ海峡付近では昨年6月13日、日本の海運会社・国華産業が運航するタンカー「KOKUKA COURAGEOUS」が航行中に攻撃を受けるなど複数の船舶の被害が発生している。一方、日本の原油の8割、液化天然ガス(LNG)の2割がホルムズ海峡を経由して日本に来るとも言われている[ii]。このため海上自衛隊・護衛艦のこの海域でのプレゼンスは、海洋国家・貿易立国である我が国の国益を守るため大きな意味を有する。
この任務を遂行するため乗員の方々は、新型コロナウィルス感染防止のため現地での上陸は控えており、約6か月間「ストレス管理に気をつけた。業務のオンオフをはっきりさせ、生活のリズムを整えられるように対応」[iii]しつつ、狭い艦内での生活を過ごされてきた。
「きりさめ」を待つ間、偶々近くで釣りをされていたご年配のご夫婦にこのお話をしたところ、「本当にご苦労様ですね」とおっしゃり、きりさめ通過時は、我々と少し離れたところから手を振ってくださいました。水交会としても国民の皆様にもっと適切に情報を提供すれば、より海上自衛隊のご苦労を理解していただけるのではないかと感じた次第であった。
第8護衛隊(「きりさめ」)の皆様、本当にご苦労様でした。
※1この番所跡周辺は私有地であり、今回、佐世保水交会では、特別にお断りをして見送りを実施させていただいたものです。
※2上記事情により付近の方にご迷惑をおかけしないこと及び新型コロナウィルス感染拡大防止を考慮し、広く参加者を募らず少人数での歓迎・見送りといたしました。
(佐世保水交会)
[i] 「護衛艦きりさめ 中東派遣から帰港 長崎県佐世保に」長崎新聞 令和2年10月27日
[ii] 「日本関係の船、攻撃は複数回 乗員は避難 ホルムズ海峡」朝日新聞 令和元年6月14日
[iii] 帰国行事における「きりさめ」白石 豪艦長の発言 長崎新聞「護衛艦きりさめ 中東派遣から帰港 長崎県佐世保に」
高後崎での第8護衛隊(「きりさめ」)見送り及び「はるさめ」出迎え
佐世保水交会では、5月10日に中東方面での情報収集のため佐世保港を出港する第8護衛隊(「きりさめ」)の見送り及び6月19日にソマリア・アデン湾での海賊対処のため行動していた「はるさめ」の出迎えを平戸藩高後崎番所跡付近の防波堤から実施した。
第8護衛隊(「きりさめ」)は、新型コロナウィルス対策として出港後2週間は日本近海で訓練し、感染者がいないことを確認して中東に向かう[i]などの諸制約が加わり、従来に増して厳しい条件での行動となることが予想される。
「はるさめ」は、昨年11月24日に第35次隊として佐世保を出港し、約7か月間、現地で9回、民間の貨物船やタンカーなどを護衛したほか、特定海域を警戒監視した。2009年3月以降、この海域での海自の民間船舶の護衛は4000隻を超えており、この間、一度も海賊被害を出しておらず、海自部隊は国際社会からも高い評価を得ている[ii]。
中東海域、ソマリア・アデン湾海域は、海洋国家・貿易立国である我が国にとって不可欠な原油をはじめとする各種物資の輸送のため重要な海域である。この地域が不安定化した場合の影響は、新型コロナウィルスに勝るとも劣らないものであり、家族を国内に残し、大変な思いで任務にあたるこれら部隊の地域安定化のため貢献は大きい。
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、第8護衛隊(「きりさめ」)の出国行事、「はるさめ」の帰国行事とも、部内のみでの実施となったことから、佐世保水交会は、出・入港岸壁での行事には参加できなかったものの、これら部隊の方々に対して少しでも感謝の意を伝えるため、練習艦隊の佐世保入港・出港時と同様、有志で高後崎において見送り・出迎えを実施した。
第8護衛隊(「きりさめ」)の見送りは、当初、幹事8名のみでの実施の予定であったが、一般会員の方及び「きりさめ」乗員のご家族も加わり10名以上での見送りとなった。朝から降っていた「霧雨」も見送りの前には上がり、我々の見送りに対して、第8護衛隊(「きりさめ」)では、隊司令をはじめ皆様から帽振れをしていただき、また艦橋で自衛艦旗を振ってお答えいただいた。
「はるさめ」出迎えは、平日であり、また雨も降り、足場が悪くなることが予想されたことから、多くの方に声をかけなかったものの、古希を過ぎた米永佐世保水交会顧問も参加し、4名のもので実施した。当初は傘をさしていた我々も、「春雨じゃ、濡れて参ろう」[iii]と傘を畳んだところ、雨もやみ、我々に気づいた「はるさめ」からは、発光信号とともに乗員の皆様からの帽振れの返答をいただいた。
第8護衛隊(「きりさめ」)の皆様、ご苦労様です。そして、「はるさめ」の皆様、ご苦労様でした。
※1この番所跡周辺は私有地であり、今回、佐世保水交会では、特別にお断りをして見送りを実施させていただいたものです。
※2上記事情により付近の方にご迷惑をおかけしないこと及び新型コロナウィルス感染拡大防止を考慮し、広く参加者を募らず少人数での歓迎・見送りといたしました。 (佐世保水交会)
[i] 日経新聞 令和2年5月11日朝刊
[ii] 長崎新聞 令和2年6月20日朝刊
[iii] 幕末の志士、武市半平太をモデルとしたとされる戯曲「月形半平太」で半平太がなじみの芸子と料亭から出て雨が降っていた際に述べた有名なセリフ
日本海海戦115周年に当たり献花を実施
新型コロナウィルスに罹患された方々にお見舞い申し上げますとともに、感染拡大防止に尽力されている関係者の方々に感謝申し上げます。
佐世保水交会では、毎年、日本海海戦において連合艦隊がバルチック艦隊に勝利した5月27日に海上自衛隊佐世保OB会と共催で同海戦の勝利を祝賀し、その偉業を通じて国を守る使命及び伝統の継承を図るとともに、国に殉じられた日本海軍の英霊と海上自衛隊殉職隊員の御霊を慰霊するため、会員はもちろん、多数の来賓の方々、また佐世保地方総監をはじめとする海上自衛隊員の方々のご参列を得て記念式典を執り行っております。
しかし、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、本年の式典は、主催者などにより少人数で献花等のみを実施いたしました。本式典の意義を考えると極めて残念なことではありますが、現在の状況から、まずは、国家の基幹機能を維持しつつ、新型コロナウィルスを封じ込めることが最優先と考えました。このため、ご来賓の方々並びに式典の中核となられる海上自衛官の方々の感染防止を最優先といたしました。
特に、中国海軍は、自国の感染拡大の中でも継続していた力による現状変更のための試みを感染拡大の収束とともにさらに活発化させつつあり、また、北朝鮮は体制引締め及び対米交渉のためのミサイル発射の可能性があると推察します。さらに我が国にとって重要なソマリア・アデン湾及び中東地域での海上自衛隊の活動も引続き予断を許さない状況であると推察されます。このため、海上自衛官の方々には絶対感染させてはいけないと考えました。
当日は、最初に主催者を代表して、佐世保水交会外村尚敏会長及び海上自衛隊佐世保OB会広井豊明会長が、旧海軍の英霊17万6千余柱及び海上自衛隊の殉職者の御霊152柱がともに眠る「海の防人の碑」に献花を実施し、引続き、本行事の支援団体である佐世保海軍墓地保存会玉井晃会長に献花をしていただきました。
その後、参加者総員で東郷平八郎元帥に代表される当時の海軍の方々のご功績に敬意を表するため、同墓地内にある東郷元帥像を拝礼いたしました。
大規模な式典は実施できませんでしたが、海軍墓地は、海上自衛隊佐世保警備隊をはじめとする海上自衛隊の方々の清掃奉仕により美しく整備され、晴朗な天気のもと、献花等を整斉と実施することができました。
また、偶々(たまたま)5月27日ということで海軍墓地を訪問されていた 故谷川清澄元佐世保地方総監の御長女由見子様にも本行事に立ち会っていただきました。谷川元総監は、「海の防人の碑」建立にあたり碑文を揮毫していただいた方であり、献花等終了後、由見子様を交えしばし谷川元総監の思い出話に花を咲かせました。
日露戦争は、極東の小国がヨーロッパ列強の一国を破ったことから世界に衝撃を与えました。この勝利は、国民が心を一つにして強大な帝政ロシアに立向かった成果でした。同様に、今般の新型コロナウィルスとの戦いにおいても我が国は、国民が一丸となりこの困難な状況を克服することができると確信しております。
ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授は、強制力を伴わない緊急事態宣言などの条件下、我が国における感染拡大を欧米に比べて緩やかなものとしている要素をファクターXと呼称 し、このファクターXの候補として日本人の高い衛生意識等の疫学的要素を上げております。そしてこのファクターXと関連する重要な要素として日本人の高い自主性を上げておられます[i]。緊急事態宣言下、ほとんどの日本人は、罰則がないにもかかわらず自主的に規制を順守してまいりました。日本海海戦から115年、その間、過度に「義務」より「権利」、「公」より「個人」を重視する戦後教育を受けてきた中においても、東日本大震災の際の秩序ある行動と同様、今回も日本人の美徳は決して失われていなかったことを再認識できました。このことは、このコロナウィルスにおける危機の中で、仄(ほの)かに灯る希望の光のように感じました。(佐世保水交会)
[i]2020.5.29 NHK「朝のニュース」におけるインタビュー
心にひびく長一声! 高後崎にて練習艦隊を見送る
佐世保水交会(会長:外村 尚敏)は、4月4日(土)、佐世保を出港する練習艦隊(司令官:海将補 八木 浩二)を、高後崎(こうござき)から見送った。
練習艦隊は、近海練習航海の途中、4月2日(木)、護衛艦「あさひ」、「いせ」及び掃海母艦「うらが」の編成で、佐世保に入港したもの。例年であれば、市を挙げての入港歓迎行事や初級幹部の各種研修、練習艦隊司令官主催の艦上レセプションなど、数々の市民との親交を深めるイベントが行われてきたが、今回は、様相が違った。
中国武漢発祥の新型コロナウイルスは、世界に猛威を振るっている。昨年3月、中国の一帯一路構想に参画し、中国と急速に関係が深化したイタリアは、世界で最も深刻な様相を示し、4月初めで感染者約12万人、死者1万4千人を超えている。
我が国においては、4月4日現在、感染者約3千人、死者約70人に及んでいる。このため、新型コロナウイルス感染拡大阻止の一環として、各種行事等は全国規模で自粛され、練習艦隊佐世保寄港に係る各種行事も同様に自粛された。
ところで、集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に自衛隊員が災害派遣され、任務終了後、感染者がゼロであったことは、記憶に新しいところである。
国家存亡の危機のとき、これに当たる自衛官は、「感染しない」、「疲弊しない」ことが最も重要である。これを考えれば、今回の佐世保における一連の措置は、やむを得ないものではある。
しかしながら、近海練習航海を終え、国際感覚のかん養や諸外国との友好親善などのため遠洋航海に旅立つ初級幹部にとって、佐世保出港は、あまりにも寂しいものであるに違いない。
せめて、何らかの形で、彼らにエールを送れないものか。この発意で、佐世保水交会会長をはじめ幹事・会員7人は、出港当日、俵ヶ浦半島の高後崎船番所跡下にある船溜まりの古い石組みの突堤に降り立った。
ここは、江戸時代、唯一の貿易港であった長崎港に近いことから平戸藩が、密貿易の取り締まり、海難救助、外国船に対する警戒のため設置したものである。我が国に対する脅威は、常に海を経由して来ており、ここ番所跡は、海上自衛隊の役割に通ずるものがある。
16時過ぎ、まず、護衛艦「あさひ」がその勇姿を現した。在りし日の姿が消え失せた我々“七人の侍”の勇姿?を視認したか、信号灯が向けられる。興奮した瞬間である!皆、一生懸命、旭日旗、水交会旗、手を振った。
2番艦、練習艦隊司令官乗艦の掃海母艦「うらが」が見えた。信号灯とともに、我々に近づくと、絞り出される声のような、なが~い「長一声」の汽笛が鳴った!心と心が通う、短くも長い時が流れた。
3番艦は、護衛艦「いせ」。日中は暖かかった気温も夕方は下がり、強い風が吹く中、後甲板には、整列する初級幹部の姿が見えた。「右帽振れ」の艦内マイクが入り、一所懸命、帽子が振られた。
我々の他に数名、撮影や見送りを行う方々がおられたが、このような少人数のために儀礼を尽くす、正に海上自衛隊の姿がここにあった。
見送りの後、撮影された掃海母艦「うらが」を拡大してみたところ、艦橋トップで、笑顔で我々に手を振られる練習艦隊司令官の姿がそこにあった。新型コロナウイルスがパンデミックとなった今、今後の訓練は、厳しい環境に置かれることとなろうが、「負けじ魂、これぞ船乗り」の精神でこれを乗り切り、我が国の防衛に尽力されることを切に願うものである。
(文・写真 細國 春夫 副会長)
追記及び練習艦隊各艦の写真
追記
上記記事の見送りの前に、練習艦隊の佐世保入港時にも6名の幹事及び会員により同じ場所で、出港時と同様に入港を歓迎しました。出港時より1名人数は少なかったものの、出港時と変わらない後輩達への熱い思いをもって出迎えを実施しました。
※1 この番所跡周辺は私有地であり、今回、佐世保水交会では、特別にお断りをして見送りを実施させていただいたものです。
※2 上記事情により付近の方にご迷惑をおかけしないこと及び新型コロナウイルス感染拡大防止を考慮し、広く参加者を募らず少人数での歓迎・見送りといたしました。(佐世保水交会)
高後埼での出迎え、見送り時の各艦の写真
うらが:出港時(奥村幹事撮影)
うらが:出港時(奥村幹事撮影)
うらが:出港時(林田幹事提供)
うらが:出港時(奥村幹事撮影)
うらが:入港時(奥村幹事撮影)
うらが:出港時(林田幹事提供)
あさひ:出港時(林田幹事提供)
あさひ:出港時(林田幹事提供)
あさひ:出港時(奥村幹事撮影)
いせ:出港時(奥村幹事撮影)
いせ:出港時(林田幹事提供)
いせ:出港時(奥村幹事撮影)
いせ:出港時(林田幹事提供)
派遣海賊対処行動に出港する「はるさめ」の激励
令和元年11月15日、佐世保水交会では、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動のため出港する護衛艦はるさめの激励を実施いたしました。
激励は、冒頭に外村会長からはるさめ艦長大島輝久2等海佐に、細國副会長からはるさめ先任伍長本田健太郎海曹長に、それぞれ激励品(お菓子の詰め合わせ)をお渡しし、激励しました。 その後、大島艦長と本田先任伍長と懇談し、派遣にあたっての抱負などをお聞きしました。お二人からは、任務の前に、乗員一体となって任務を完遂する意気込みを感じました。
この行動は、海洋国家である我が国の国益に大きく寄与するものであり、乗員は、長期間家族と離れ、困難な任務にあたります。誠に頭が下がる思いです。(佐世保水交会 総務幹事 筧記)
佐世保よさこい祭り出場の海闘チームの激励会
水交会佐世保支部では、10月12日(土)、佐世保よさこい祭りに海上自衛官を主体として出場する唯一のチームである海闘の激励会を実施いたしました。
本激励会は、佐世保防衛経済クラブ、隊友会佐世保支部及び佐世保海上自衛隊OB会と共催で海闘を応援するため行われたもので、調整・企画を水交会が担当しています。
海闘代表からの海闘の概要紹介の後、舞の披露をしていただきました。
その後、各団体から、よさこい本番では、食事をとる時間もないことから簡易に栄養補給ができるゼリー型の栄養食品などの差入れ品を手渡すとともに、かわいらしい子供たちのメンバーにはハロウィンのお菓子をプレゼントし、激励しました。
最後に、中尾剛久佐世保地方総監から海闘に激励の言葉をいただきました。
本年も海闘のメンバーには、総監部経理部長、佐世保警備隊司令、佐世保教育隊司令という「大物」が参加し、平均年齢を大幅に押し上げていましたが、演舞披露では、見事な舞を披露していただきました。
本番は10月19日(土)、20日(日)です。佐世保近郊の方は、ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。(総務幹事筧記)
令和元年度部隊研修「水陸機動団 戦闘上陸大隊」
令和元年9月11日(水)、佐世保水交会は、佐世保教育隊に隣接する陸自崎辺分屯地において、水陸機動団隷下の戦闘上陸大隊の研修を行った。
戦闘上陸大隊は、平成31年3月26日に開設の崎辺分屯地に新編された精鋭部隊であり、参加者一同、本研修を心待ちにしていた。 当日は、夏空が広がる絶好の研修日和となり、水陸機動団高級幕僚、戦闘上陸大隊長、広報班長の案内で、概要説明、水陸両用車展示、水上航走展示、陸上走行展示及び昼食会の順で研修を行った。
最初に概要説明があり、崎辺地区は、大正9年に日本帝国海軍佐世保海軍航空隊が創設されたこと、戦後は、海上自衛隊、米海軍に受け継がれ、一部は佐世保重工業の工場用地となったことなど、国防施策の変遷、造船業界の浮沈などの要因による崎辺地区の歴史の変遷を理解することができた。なお、崎辺分屯地は、主に佐世保重工業所有地だった場所に開設されている。
次に、水陸両用車の性能要目について説明を受け、車両の見学を行った。 また、分屯地内を移動しながら、海水を落とす車両洗浄装置や乾燥場についても研修を行った。 水陸両用車をバックに記念撮影の後、実際に水上航行展示、陸上走行展示が行われ、水上も陸上も難なく行動する様子に、研修参加者一同感嘆の声を上げていた。
最後に、隊員の皆様と一緒に大変おいしい心づくしの昼食をいただき、研修の感想などの会話にも花が咲いて大いに盛り上がった。
全般を通じて、本研修は大変密度の濃いものであり、また、海上自衛隊とのオペレーションを踏まえた運用説明等を通じ、海上自衛隊との統合運用のさらなる深化を感じ取ることができた研修となった。(文・写真:浦川幹事)
佐世保における日本海海戦114周年記念行事について
1 行事の概要及び本年から実施要領を変更することとなった経緯
(1)行事の概要
佐世保における日本海海戦記念式典は、戦後も海友会等の旧海軍関連団体等により途切れることなく亀山八幡宮の敷地内にある東郷元帥揮毫の忠魂碑の前で行われていた[1]。そして平成5年、佐世保の篤志家達により東郷元帥像が東山海軍墓地に建立されたことを契機に海軍墓地で実施されるようになった。その後、平成15年に旧海軍戦死者等及び海上自衛隊殉職者を共に慰霊顕彰する碑として「海の防人之碑」が建立され、この時から従来からある旧海軍戦死者、殉職者を慰霊する「慰霊殿」と「海の防人之碑」双方を対象に慰霊を行うという昨年までの行事の骨子ができたものと考えられる。
現在、行事は、佐世保水交会及び佐世保海上自衛隊OB会(昨年10月、佐世保海軍OB会が解散するまでは佐世保海軍OB会も主催者であった。)の共催で実施され、企画調整の主体は水交会が実施している。昨年までの行事は、海戦の偉業を後世に伝え、往時を偲ぶとともに、旧海軍戦死者等及び海上自衛隊殉職者の慰霊を目的に県、市関係者、旧海軍関係者、自衛隊関係者(佐世保教育隊の新入隊員を含む)、関連団体等の参列を得て実施されてきた。行事は、慰霊と祝賀をテーマに海軍墓地の屋外で実施される式典と、式典終了後、墓地内にある参拝者休憩所で行われる祝賀会で構成されていた。(従来の次第及び新たな次第は、以下のとおり。)
(2)従来の記念行事の実施要領を変更するに至った理由
昨年までの行事は、先達の努力により洗練された厳粛な雰囲気の中、整斉と実施され、印象的な行事となったが、相反する慰霊と祝賀というテーマを同時に実施し、また墓地という環境で祝賀を実施するという構造的問題を、式典では実質的に慰霊を主体とし、式典終了後の祝賀会で戦勝を祝うことにより解決してきた。しかし、祝賀会には、収容人数の関係で、一部の参列者しか参加できないことから、本行事は、全体として慰霊色が強く、特に祝賀会に参加できない新入隊員等には、本行事の本来の目的が理解しにくいものとなっていた。また、日本海海戦の戦死者のみでなく、旧海軍戦死者等及び海自殉職者をこの行事において慰霊することに関する理論整理がやや不明確であった。
さらに、参列される方などのご負担を軽減することも必要になってきたと考えた。特に現在、海上自衛隊は、我が国を取り巻く安全保障環境下、限られた人員、艦艇等の装備で、防衛の最前線に立ち多忙を極めていることから、行事を本来の目的を達成しつつ、多少でも効率化することができないかを検討する必要があった。
このため佐世保水交会では、今年が、新たな御代の初年、佐世保鎮守府開庁130周年、佐世保港開港130周年の節目の年となることもあり、昨年の行事終了後から1年をかけて行事のあり方を検討した。
2 行事のあり方の検討状況及び新たな行事の基本概念
(1)検討の方法
検討は、特に慰霊顕彰儀礼については、心の問題を扱うことから、冷静な分析のための科学的手法として構造主義、象徴文化人類学(記号論)等の文化人類学的切り口で、我が国及び各国(英連邦等)における慰霊顕彰儀礼・戦勝記念儀式の状況を確認した。特に儀礼・儀式の「構造」(構造主義が提議する深層にあって人間の行動を規定する原理等)の探求及び儀式の効果を高めるための象徴記号[2]としての音楽(ラッパ等)、花、旗等に注目した。また、戦勝記念儀式の部分に関しては、文化人類学における儀礼・儀式の機能面に注目した機能主義[3]による分析も併用した。
(2)検討の結果
検討の結果、民族、宗教にかかわりなく多くの儀礼・儀式の底流には、死と再生の「構造」があり、その再生は、死者の使命、役割の継承によりなされるという解釈ができると考えた。例えば、王の戴冠式は、旧王の死と新王が王権を継承することによる王の再生であり、王冠は、王の継承すべき使命と役割の象徴である。
儀礼・儀式における死者から生者への使命の継承の象徴性は、英連邦諸国のリメンブランス・デー(第1次世界大戦の終結を記念して行われる戦没者追悼の日)の慰霊顕彰儀礼にもみられる。同儀礼のモチーフとなっているのは第1次大戦で戦友を亡くし、自身もほどなく戦病死したカナダの陸軍中佐であり、医師であったジョン・マクレーの「フランダースの野に」[4]の詩である。この詩には、死者が生者に国を守るため戦うことを象徴するトーチを託すことが描写されており、使命の継承が死者の慰霊顕彰となるとの考え方が見られる。
旧海軍、海上自衛隊は、任を離れるとき、「願います」と言って次の者にことを託す伝統を有していることからも、この考え方は本行事と親和性が高いと考えた。
また、戦勝記念儀式に関しては、機能主義的な観点からは、歴史を伝えること、祝賀をすることはあくまで手段であり、その目的は、集団としてのアイデンティティの強化(本行事においては、海上武人としてのアイデンティティ)にあるのではないかと考えた。そしてアィデンティティの強化のためには、集団の使命を再確認することとともに、実体のない形式の重視ではなく、形骸としての過去を否定し[5]、創造性を発揮することにより正しく過去へとつながる[6]伝統を継承することが重要と考えた。
また、機能主義的観点からは、慰霊顕彰儀礼も、集団のアイデンティティ強化に資するものであると考えた。
(3)新たな行事の基本概念
この検討結果を受け、本行事においては、最初に慰霊顕彰にかかわる次第を行い、英霊の死を象徴し、その後の式典の各次第により旧海軍から海上自衛隊へとつながる伝統、使命の継承によるその再生を象徴することとし、これにより慰霊顕彰部分のみではなく、式典部分も慰霊顕彰の意味を持つものとした。同時に、この式典部分は、本来の戦勝記念儀式として海上武人のアイデンティティの強化に資するものであるという2重の位置づけとすることを企図した。また英霊の死と再生を象徴する慰霊顕彰・式典は、アイデンティティの強化にも寄与するものと考えた(下図参照)。
具体的には、最初に、旧海軍記念日にあたり、国を守るために命を捧げられた旧海軍軍人及び海上自衛官の慰霊顕彰のための献花等を行うことにより英霊の死を象徴した。その後、式典に移行して、日本海海戦の様相を継時的に描写した日本海海戦の歌を斉唱してその偉業を追体験するとともに連合艦隊解散の辞を拝聴することとした。解散の辞を拝聴することとしたのは、解散の辞には、海軍力の意義と平時の軍人の心構えが述べられており、そこには、参列者が継承すべき使命及び伝統を考察するヒントがあると考えたからである。これにより式典の一連の次第の流れの中、日本海海戦の勝利を祝賀するとともに、本行事参加者が日本海海戦の偉業を通じて国を守るという使命及び海上武人としての伝統の意義を考察する機会を作為し、式典が、使命、伝統の継承による英霊の再生を象徴するとともに、海上武人としてのアイデンティティの強化に資するものとなることを企図した。
そして式典部分は、祝賀でありつつ慰霊顕彰の意味を持つこととなり、慰霊顕彰と祝賀を同時に墓地という環境で実施することによる構造的問題を解決するとともに5月27日に慰霊顕彰儀礼を行う意味を明確化することを図った。
また、これらの次第により式典の中で本行事の目的を概ね達成できること及び参加される方などのご負担を考慮し祝賀会を実施しないこととした。
3 当日の状況
(1)天候及びその対応状況、参列者等
当日の天気予報は、行事の開始時に小雨が降り始めるという主催者が判断に悩むものであったが、風が強いことが予想され、小雨とはいえ天幕内に雨が降りこむ可能性及び新入隊員の教育隊から会場への移動が徒歩であることを考慮し、大事を取って雨天の位置である墓地参拝者休憩所で実施した。
実施要領を変更して初めての実施であることに加え10年ぶりの雨天の位置での実施であったが、行事の準備・運営は、主催団体各役員の適応力の高さに助けられ、大きな混乱もなく整斉と実施することができた。
式には、来賓として、菊地聡佐世保地方総監、朝長則男佐世保市長をはじめ、多数の県、市、諸団体の代表の方及び海上自衛隊の指揮官、先任伍長の参列を得られたものの、雨天の位置の収容人数の関係で事前計画のとおり新入隊員の参加は40名に制限した。実際に雨天の位置でやってみて、一部の新入隊員しか参列できないことは、本行事の目的から、大きな問題であり、今後、対応策を検討していく必要があることを実感した。
(2)慰霊顕彰の状況
行事の慰霊顕彰部分は、海軍の戦死者等及び海自殉職者の御霊に黙祷を捧げることにより始まった。献花は、「海の防人之碑」に対して主催者の外村佐世保水交会会長、松田海自佐世保OB会会長、海自を代表して菊地総監、地元を代表して朝長市長、そして最後に新たに海上武人の「トーチ」を受け継ぐ新入隊員の男女の代表1名ずつに行っていただいた。
献花の中心を従来の慰霊殿及び海の防人之碑双方から、海の防人之碑としたのは、海の防人之碑は、海軍、海自双方の慰霊顕彰を目的として建立されており、本行事の海軍から海上自衛隊への使命の継承というテーマに合致すると考えたからである。また、慰霊殿を対象とした慰霊は、佐世保市の戦没者追悼式で実施され、海の防人之碑に祀られた海自殉職者の追悼は自衛隊記念日で実施されるが、海の防人之碑に祀られた海軍の戦死者等の慰霊顕彰をする機会は、本行事だけであることも考慮した。
その後、従来の献詠に加え、海軍、海上自衛隊において、一日の日課の終わりの際に吹奏される巡検ラッパにより英霊の任務の完了を象徴し、安らかな休息を願った。
(3)式典の状況
式典に移行して冒頭に勇壮な出港ラッパを吹奏することにより、巡検ラッパの物悲しい音色との対比から、慰霊から祝賀への移行を象徴させ、行事のトーンを変える音楽でいうところの転調を図った。
式辞においては、外村会長から、式典に先立ち佐世保海軍OB会が昨年10月に解散したことを英霊に報告したこと、及び行事のやり方を変更した経緯、変更後の行事の考え方の説明がなされた。そしてイギリスの歴史家トインビーの「国民が歴史を忘れた時、その国は滅びる」という教訓の重要性をダンスホールとなっていた記念艦三笠の復興が英国人により提唱された事例及び我が国における東郷元帥に関する不適切な教育の事例をつうじて述べられた。
菊地総監の祝辞においては、日本海海戦の意義及び国力を冷徹に見据えた明治政府の戦争指導について述べられるとともに、連合艦隊解散の辞を引用して海軍からの伝統を引継ぎ、我が国領域を守り抜く決意が示された。
朝長市長の祝辞においては、日露戦争の歴史的意義及びその偉業を偲びつつ、国防の重要性と平和の尊さを再認識する意義について語られた。また慰霊の場としての佐世保海軍墓地の意義について言及がなされた。最後に国の平和と安全を守る自衛隊を今後も地元として支えていくことが述べられた。
日本海海戦の歌は、15番まで斉唱すると約6分間かかることから、従来の祝賀会においては、長くても6番までしか斉唱されてこなかったが、日本海海戦を追体験するとの観点から、やや長いものの海戦の終結を描写した12番まで斉唱した。
そして、東郷元帥に代表される当時の日本海軍の方々のご功績に敬意を表すとともに「連合艦隊解散の辞」拝聴の前の連合艦隊司令長官たる東郷「大将」への敬礼を模して東郷元帥像へ一礼を行った。
連合艦隊解散の辞の拝聴においては、東郷元帥の肉声の音源を放送したが、明治期の漢文調の文章は聞くだけでは内容の理解が難しいことから、参列者に配布するパンフレットに難読漢字にはルビを振り、難解な表現には口語訳の注釈をつけた解散の辞を添付し、拝聴時に読んでもらうことでその内容の理解を図った。
最後に馬郡謙一佐世保防衛経済クラブ会長が、海の防人之碑に正対して、114年前に想いを馳せるとともに、亡くなられた海軍、海自の方々の慰霊とその思いを受け継ぎ果たすことを誓うこと及び我が国の安寧を祈念して万歳三唱の発声を行われた。
(4)祝賀会を実施しないことの代替としての御菓子の配布
祝賀会を実施しないことから、明治38年日本海海戦の年に創業した佐世保四カ町にある御菓子司松月堂様のご協力を得て同社の代表的銘菓である入船の「入船」の文字を海軍軍人及び海上自衛官が最も好きな言葉の一つである「入港」に、「南蛮船」を「戦艦三笠」に変えた特製の包装紙に入った入船を作成し、参列者の皆様にお配りするとともに、新入隊員にもお福分けさせていただいた。本行事の次第には、出港ラッパはあるが、入港にかかわる次第はなく、参列者には、お帰りになられた後、この「入港」を召し上がっていただくことで、日本海海戦の後、佐世保に凱旋入港した連合艦隊に想いを馳せていただくことを企図した。
おわりに
上皇陛下から、天皇陛下への皇位継承は、ご崩御に伴うものではなく、生前退位という形で行われたが、そこには、使命の継承による天皇陛下の再生の構造が見られたと考える。80歳を超えても日本国および日本国民統合の象徴として国民の安寧と幸せを願い、各地をご訪問されてきた上皇陛下から天皇陛下へ託された3種の神器は、その使命の継承を象徴しているとも考えられる。
我々も、新たに即位された天皇陛下と皇后陛下の穏やか笑顔とその笑顔の奥にあるその使命への強い決意をテレビ等で拝見して、自分たちの日本国民としてのアィデンティティを確認するとともに静かな愛国心を感じたのではないかと思う。
本行事は、皇位継承にかかわる行事に比ぶべくもないが、奇しくも予定外の報道機関のインタビューにおいて献花を行った新入隊員が「自分も自衛官として国を守っていくという気持ちを込めて花を手向けました」とコメントしており、多少とも本行事の目的は達成されたのではないかと感じた。
最後に本行事の設営等に協力していただいた佐世保教育隊、多忙な業務の中、ラッパ隊を派出していただいた各部隊、各部隊との調整等にあたっていただいた総監部、本行事に参加していただいた皆様に心から感謝いたします。
(総務幹事筧記)
[1] 実際に日本海海戦記念行事を114回実施しているかの検証はできていない。このため平成30年度より、行事の名称として、従来の回次方式ではなく、呼称としての過誤の可能性がない周年方式の名称を使用するよう変更し、昨年は日本海海戦第113周年として実施した。
[2] ここでいう象徴記号は、次のような考え方を意味している。
・米国の文化人類学者ギアツは「文化は象徴と意味の体系」としており、象徴は文化を構成する大きな要素である。象徴記号の例として、十字架は、物質的には、単なる十字の形をした金属片であるにかかわらず、キリスト教の多くのことを象徴していることなどがあげられる。
・メタファー「象徴的表現」を使用することは音楽、文学等の芸術的分野において、直接的表現にはないその美的効果から、よりメッセージ性を高めることができる。
[3] 機能主義とは、儀式・儀礼等の社会での役割(機能面)に注目して、その儀礼・儀式を分析する手法である。機能主義の嚆矢は、マリノフスキーによるニューギニアの「クラ」と呼ばれる儀式の研究である。同儀式は、西洋人から、非合理的な呪術的儀式と見られていたが、マリノフスキーは同儀式には、部族の凝集性を高める等の合理的で重要な機能があることを発見した。
[4] 「フランダースの野に」の詩は次のとおり。
フランダースの野にポピーの花は咲く
十字架の列また列の間に
十字架は我々がいる場所をしるす。空には
ひばりがいまだ勇敢に啼きながら飛ぶ
眼下の砲声の中、かすかに聞こえる
我々は死者、何日か前まで
我々は生きていた、日の出を感じ、夕焼けを見ていた
愛し、愛されていた。今は横たわる
フランダースの野に
敵との争いを引き継いでほしい
あなたに、我々の崩れ落ちる手から投ぜられた
そのトーチを高々と掲げてほしい
死んだ我々との約束が破られたなら
我々は眠らないであろう、ポピーが咲こうとも
フランダースの野に
(筆者仮訳)
また、リメンブランス・デーにおいては、この詩のポピーにちなみ、公職にあるものや、テレビのアナウンサーが、日本の赤い羽根のように襟にポピーの造花をつける習慣がある。
[5] 辻井喬「伝統の創造力」岩波新書 2001年12月 pp7
[6] 岡本太郎「日本の伝統」光文社 1956年9月 pp71
平成30年現役とのBBQ
海軍兵学校針尾分校の碑周辺を清掃
佐世保水交会は、令和元年六月八日、平成十八年から実施している海軍兵学校針尾分校の碑周辺を対象とした清掃作業を実施した。 これは、同年から、海軍兵学校第七十八期会から委託を受けた佐世保水交会が同幹事数名により毎月を基準に清掃作業を継続してきたところ、長年にわたる樹木の実や、流れ込む泥土により、針尾分校の碑周辺の舗装が黒ずんできたことから実施したもので、幹事十名あまりにより、デッキブラシ等により舗装部分の泥土等を除去し、美観を回復しようと行ったものである。
針尾分校の碑は、JRハウステンボス駅の早岐瀬戸をはさんだ対岸のハウステンボスにごく近い位置にあり、分校開校・閉校からすでに七十四年が経過している。 この地にかつてひっ迫する国情を憂い、四千名あまりの若い士官候補生が勉学していたことを知る者は多くはない。 同碑及び周辺を端正な状態で維持することが、七十八期生の意志を後生に語り継ぐ一助になればとの思いで実施しているところである。(文: 林田幹事・写真:外村会長)