佐世保水交会

役員等
会 長
外村 尚敏
副会長
千葉 敢三
副会長
細國 春夫
副会長
秋吉   直己
副幹事長
舩渡 健
総務幹事
筧 豊隆
連絡先

〒857-0053

佐世保市常盤町8-8 富士ビル3階

佐世保水交会

TEL/FAX:0956-24-1360

高後崎での第8護衛隊(「きりさめ」)見送り及び「はるさめ」出迎え

    佐世保水交会では、510日に中東方面での情報収集のため佐世保港を出港する第8護衛隊(「きりさめ」)の見送り及び619日にソマリア・アデン湾での海賊対処のため行動していた「はるさめ」の出迎えを平戸藩高後崎番所跡付近の防波堤から実施した。

    第8護衛隊(「きりさめ」)は、新型コロナウィルス対策として出港後2週間は日本近海で訓練し、感染者がいないことを確認して中東に向かう[i]などの諸制約が加わり、従来に増して厳しい条件での行動となることが予想される。

  「はるさめ」は、昨年1124日に第35次隊として佐世保を出港し、約7か月間、現地で9回、民間の貨物船やタンカーなどを護衛したほか、特定海域を警戒監視した。20093月以降、この海域での海自の民間船舶の護衛は4000隻を超えており、この間、一度も海賊被害を出しておらず、海自部隊は国際社会からも高い評価を得ている[ii]

    中東海域、ソマリア・アデン湾海域は、海洋国家・貿易立国である我が国にとって不可欠な原油をはじめとする各種物資の輸送のため重要な海域である。この地域が不安定化した場合の影響は、新型コロナウィルスに勝るとも劣らないものであり、家族を国内に残し、大変な思いで任務にあたるこれら部隊の地域安定化のため貢献は大きい。

きりさめ見送り

 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、第8護衛隊(「きりさめ」)の出国行事、「はるさめ」の帰国行事とも、部内のみでの実施となったことから、佐世保水交会は、出・入港岸壁での行事には参加できなかったものの、これら部隊の方々に対して少しでも感謝の意を伝えるため、練習艦隊の佐世保入港・出港時と同様、有志で高後崎において見送り・出迎えを実施した。

きりさめの勇姿

 第8護衛隊(「きりさめ」)の見送りは、当初、幹事8名のみでの実施の予定であったが、一般会員の方及び「きりさめ」乗員のご家族も加わり10名以上での見送りとなった。朝から降っていた「霧雨」も見送りの前には上がり、我々の見送りに対して、第8護衛隊(「きりさめ」)では、隊司令をはじめ皆様から帽振れをしていただき、また艦橋で自衛艦旗を振ってお答えいただいた。

はるさめ出迎え

 「はるさめ」出迎えは、平日であり、また雨も降り、足場が悪くなることが予想されたことから、多くの方に声をかけなかったものの、古希を過ぎた米永佐世保水交会顧問も参加し、4名のもので実施した。当初は傘をさしていた我々も、「春雨じゃ、濡れて参ろう」[iii]と傘を畳んだところ、雨もやみ、我々に気づいた「はるさめ」からは、発光信号とともに乗員の皆様からの帽振れの返答をいただいた。

はるさめの勇姿

     第8護衛隊(「きりさめ」)の皆様、ご苦労様です。そして、「はるさめ」の皆様、ご苦労様でした。

※1この番所跡周辺は私有地であり、今回、佐世保水交会では、特別にお断りをして見送りを実施させていただいたものです。

2上記事情により付近の方にご迷惑をおかけしないこと及び新型コロナウィルス感染拡大防止を考慮し、広く参加者を募らず少人数での歓迎・見送りといたしました。 (佐世保水交会)

[i] 日経新聞 令和2511日朝刊

[ii] 長崎新聞 令和2620日朝刊

[iii] 幕末の志士、武市半平太をモデルとしたとされる戯曲「月形半平太」で半平太がなじみの芸子と料亭から出て雨が降っていた際に述べた有名なセリフ

日本海海戦115周年に当たり献花を実施

    新型コロナウィルスに罹患された方々にお見舞い申し上げますとともに、感染拡大防止に尽力されている関係者の方々に感謝申し上げます。

 佐世保水交会では、毎年、日本海海戦において連合艦隊がバルチック艦隊に勝利した5月27日に海上自衛隊佐世保OB会と共催で同海戦の勝利を祝賀し、その偉業を通じて国を守る使命及び伝統の継承を図るとともに、国に殉じられた日本海軍の英霊と海上自衛隊殉職隊員の御霊を慰霊するため、会員はもちろん、多数の来賓の方々、また佐世保地方総監をはじめとする海上自衛隊員の方々のご参列を得て記念式典を執り行っております。

    しかし、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、本年の式典は、主催者などにより少人数で献花等のみを実施いたしました。本式典の意義を考えると極めて残念なことではありますが、現在の状況から、まずは、国家の基幹機能を維持しつつ、新型コロナウィルスを封じ込めることが最優先と考えました。このため、ご来賓の方々並びに式典の中核となられる海上自衛官の方々の感染防止を最優先といたしました。

    特に、中国海軍は、自国の感染拡大の中でも継続していた力による現状変更のための試みを感染拡大の収束とともにさらに活発化させつつあり、また、北朝鮮は体制引締め及び対米交渉のためのミサイル発射の可能性があると推察します。さらに我が国にとって重要なソマリア・アデン湾及び中東地域での海上自衛隊の活動も引続き予断を許さない状況であると推察されます。このため、海上自衛官の方々には絶対感染させてはいけないと考えました。

「海の防人の碑」への献花

「海の防人の碑」への献花

   当日は、最初に主催者を代表して、佐世保水交会外村尚敏会長及び海上自衛隊佐世保OB会広井豊明会長が、旧海軍の英霊17万6千余柱及び海上自衛隊の殉職者の御霊152柱がともに眠る「海の防人の碑」に献花を実施し、引続き、本行事の支援団体である佐世保海軍墓地保存会玉井晃会長に献花をしていただきました。

    その後、参加者総員で東郷平八郎元帥に代表される当時の海軍の方々のご功績に敬意を表するため、同墓地内にある東郷元帥像を拝礼いたしました。

東郷元帥像への拝礼

  大規模な式典は実施できませんでしたが、海軍墓地は、海上自衛隊佐世保警備隊をはじめとする海上自衛隊の方々の清掃奉仕により美しく整備され、晴朗な天気のもと、献花等を整斉と実施することができました。

    また、偶々(たまたま)5月27日ということで海軍墓地を訪問されていた   故谷川清澄元佐世保地方総監の御長女由見子様にも本行事に立ち会っていただきました。谷川元総監は、「海の防人の碑」建立にあたり碑文を揮毫していただいた方であり、献花等終了後、由見子様を交えしばし谷川元総監の思い出話に花を咲かせました。

海の防人の碑

    日露戦争は、極東の小国がヨーロッパ列強の一国を破ったことから世界に衝撃を与えました。この勝利は、国民が心を一つにして強大な帝政ロシアに立向かった成果でした。同様に、今般の新型コロナウィルスとの戦いにおいても我が国は、国民が一丸となりこの困難な状況を克服することができると確信しております。

    ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授は、強制力を伴わない緊急事態宣言などの条件下、我が国における感染拡大を欧米に比べて緩やかなものとしている要素をファクターXと呼称 し、このファクターXの候補として日本人の高い衛生意識等の疫学的要素を上げております。そしてこのファクターXと関連する重要な要素として日本人の高い自主性を上げておられます[i]。緊急事態宣言下、ほとんどの日本人は、罰則がないにもかかわらず自主的に規制を順守してまいりました。日本海海戦から115年、その間、過度に「義務」より「権利」、「公」より「個人」を重視する戦後教育を受けてきた中においても、東日本大震災の際の秩序ある行動と同様、今回も日本人の美徳は決して失われていなかったことを再認識できました。このことは、このコロナウィルスにおける危機の中で、仄(ほの)かに灯る希望の光のように感じました。(佐世保水交会)

[i]2020.5.29 NHK「朝のニュース」におけるインタビュー

心にひびく長一声! 高後崎にて練習艦隊を見送る

佐世保水交会(会長:外村 尚敏)は、4月4日(土)、佐世保を出港する練習艦隊(司令官:海将補 八木 浩二)を、高後崎(こうござき)から見送った。

練習艦隊は、近海練習航海の途中、4月2日()、護衛艦「あさひ」、「いせ」及び掃海母艦「うらが」の編成で、佐世保に入港したもの。例年であれば、市を挙げての入港歓迎行事や初級幹部の各種研修、練習艦隊司令官主催の艦上レセプションなど、数々の市民との親交を深めるイベントが行われてきたが、今回は、様相が違った。

中国武漢発祥の新型コロナウイルスは、世界に猛威を振るっている。昨年3月、中国の一帯一路構想に参画し、中国と急速に関係が深化したイタリアは、世界で最も深刻な様相を示し、4月初めで感染者約12万人、死者14千人を超えている。

我が国においては、44日現在、感染者約3千人、死者約70人に及んでいる。このため、新型コロナウイルス感染拡大阻止の一環として、各種行事等は全国規模で自粛され、練習艦隊佐世保寄港に係る各種行事も同様に自粛された。
ところで、集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に自衛隊員が災害派遣され、任務終了後、感染者がゼロであったことは、記憶に新しいところである。

国家存亡の危機のとき、これに当たる自衛官は、「感染しない」、「疲弊しない」ことが最も重要である。これを考えれば、今回の佐世保における一連の措置は、やむを得ないものではある。
しかしながら、近海練習航海を終え、国際感覚のかん養や諸外国との友好親善などのため遠洋航海に旅立つ初級幹部にとって、佐世保出港は、あまりにも寂しいものであるに違いない。

せめて、何らかの形で、彼らにエールを送れないものか。この発意で、佐世保水交会会長をはじめ幹事・会員7人は、出港当日、俵ヶ浦半島の高後崎船番所跡下にある船溜まりの古い石組みの突堤に降り立った。

ここは、江戸時代、唯一の貿易港であった長崎港に近いことから平戸藩が、密貿易の取り締まり、海難救助、外国船に対する警戒のため設置したものである。我が国に対する脅威は、常に海を経由して来ており、ここ番所跡は、海上自衛隊の役割に通ずるものがある。

 16時過ぎ、まず、護衛艦「あさひ」がその勇姿を現した。在りし日の姿が消え失せた我々“七人の侍”の勇姿?を視認したか、信号灯が向けられる。興奮した瞬間である!皆、一生懸命、旭日旗、水交会旗、手を振った。
 2番艦、練習艦隊司令官乗艦の掃海母艦「うらが」が見えた。信号灯とともに、我々に近づくと、絞り出される声のような、なが~い「長一声」の汽笛が鳴った!心と心が通う、短くも長い時が流れた。
 3番艦は、護衛艦「いせ」。日中は暖かかった気温も夕方は下がり、強い風が吹く中、後甲板には、整列する初級幹部の姿が見えた。「右帽振れ」の艦内マイクが入り、一所懸命、帽子が振られた。
我々の他に数名、撮影や見送りを行う方々がおられたが、このような少人数のために儀礼を尽くす、正に海上自衛隊の姿がここにあった。
見送りの後、撮影された掃海母艦「うらが」を拡大してみたところ、艦橋トップで、笑顔で我々に手を振られる練習艦隊司令官の姿がそこにあった。新型コロナウイルスがパンデミックとなった今、今後の訓練は、厳しい環境に置かれることとなろうが、「負けじ魂、これぞ船乗り」の精神でこれを乗り切り、我が国の防衛に尽力されることを切に願うものである。
(文・写真 細國 春夫 副会長)

追記及び練習艦隊各艦の写真

追記
上記記事の見送りの前に、練習艦隊の佐世保入港時にも6名の幹事及び会員により同じ場所で、出港時と同様に入港を歓迎しました。出港時より1名人数は少なかったものの、出港時と変わらない後輩達への熱い思いをもって出迎えを実施しました。
※1   この番所跡周辺は私有地であり、今回、佐世保水交会では、特別にお断りをして見送りを実施させていただいたものです。
2  上記事情により付近の方にご迷惑をおかけしないこと及び新型コロナウイルス感染拡大防止を考慮し、広く参加者を募らず少人数での歓迎・見送りといたしました。(佐世保水交会)

高後埼での出迎え、見送り時の各艦の写真


うらが:出港時(奥村幹事撮影)

うらが:出港時(奥村幹事撮影)

 うらが:出港時(林田幹事提供)

うらが:出港時(奥村幹事撮影)

    うらが:入港時(奥村幹事撮影)

         うらが:出港時(林田幹事提供)

 あさひ:出港時(林田幹事提供)

 あさひ:出港時(林田幹事提供)

  あさひ:出港時(奥村幹事撮影)

いせ:出港時(奥村幹事撮影)

 いせ:出港時(林田幹事提供)

いせ:出港時(奥村幹事撮影)

      いせ:出港時(林田幹事提供)

派遣海賊対処行動に出港する「はるさめ」の激励

令和元年1115日、佐世保水交会では、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動のため出港する護衛艦はるさめの激励を実施いたしました。
激励は、冒頭に外村会長からはるさめ艦長大島輝久2等海佐に、細國副会長からはるさめ先任伍長本田健太郎海曹長に、それぞれ激励品(お菓子の詰め合わせ)をお渡しし、激励しました。 その後、大島艦長と本田先任伍長と懇談し、派遣にあたっての抱負などをお聞きしました。お二人からは、任務の前に、乗員一体となって任務を完遂する意気込みを感じました。
この行動は、海洋国家である我が国の国益に大きく寄与するものであり、乗員は、長期間家族と離れ、困難な任務にあたります。誠に頭が下がる思いです。(佐世保水交会 総務幹事 筧記)

佐世保よさこい祭り出場の海闘チームの激励会

  水交会佐世保支部では、1012日()、佐世保よさこい祭りに海上自衛官を主体として出場する唯一のチームである海闘の激励会を実施いたしました。
本激励会は、佐世保防衛経済クラブ、隊友会佐世保支部及び佐世保海上自衛隊OB会と共催で海闘を応援するため行われたもので、調整・企画を水交会が担当しています。
海闘代表からの海闘の概要紹介の後、舞の披露をしていただきました。
その後、各団体から、よさこい本番では、食事をとる時間もないことから簡易に栄養補給ができるゼリー型の栄養食品などの差入れ品を手渡すとともに、かわいらしい子供たちのメンバーにはハロウィンのお菓子をプレゼントし、激励しました。
最後に、中尾剛久佐世保地方総監から海闘に激励の言葉をいただきました。
本年も海闘のメンバーには、総監部経理部長、佐世保警備隊司令、佐世保教育隊司令という「大物」が参加し、平均年齢を大幅に押し上げていましたが、演舞披露では、見事な舞を披露していただきました。
本番は1019()20()です。佐世保近郊の方は、ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。(総務幹事筧記)

令和元年度部隊研修「水陸機動団 戦闘上陸大隊」

令和元年911日(水)、佐世保水交会は、佐世保教育隊に隣接する陸自崎辺分屯地において、水陸機動団隷下の戦闘上陸大隊の研修を行った。
戦闘上陸大隊は、平成31326日に開設の崎辺分屯地に新編された精鋭部隊であり、参加者一同、本研修を心待ちにしていた。 当日は、夏空が広がる絶好の研修日和となり、水陸機動団高級幕僚、戦闘上陸大隊長、広報班長の案内で、概要説明、水陸両用車展示、水上航走展示、陸上走行展示及び昼食会の順で研修を行った。
最初に概要説明があり、崎辺地区は、大正9年に日本帝国海軍佐世保海軍航空隊が創設されたこと、戦後は、海上自衛隊、米海軍に受け継がれ、一部は佐世保重工業の工場用地となったことなど、国防施策の変遷、造船業界の浮沈などの要因による崎辺地区の歴史の変遷を理解することができた。なお、崎辺分屯地は、主に佐世保重工業所有地だった場所に開設されている。
次に、水陸両用車の性能要目について説明を受け、車両の見学を行った。 また、分屯地内を移動しながら、海水を落とす車両洗浄装置や乾燥場についても研修を行った。 水陸両用車をバックに記念撮影の後、実際に水上航行展示、陸上走行展示が行われ、水上も陸上も難なく行動する様子に、研修参加者一同感嘆の声を上げていた。
最後に、隊員の皆様と一緒に大変おいしい心づくしの昼食をいただき、研修の感想などの会話にも花が咲いて大いに盛り上がった。
全般を通じて、本研修は大変密度の濃いものであり、また、海上自衛隊とのオペレーションを踏まえた運用説明等を通じ、海上自衛隊との統合運用のさらなる深化を感じ取ることができた研修となった。(文・写真:浦川幹事)

佐世保における日本海海戦114周年記念行事について

1 行事の概要及び本年から実施要領を変更することとなった経緯

(1)行事の概要
佐世保における日本海海戦記念式典は、戦後も海友会等の旧海軍関連団体等により途切れることなく亀山八幡宮の敷地内にある東郷元帥揮毫の忠魂碑の前で行われていた[1]。そして平成5年、佐世保の篤志家達により東郷元帥像が東山海軍墓地に建立されたことを契機に海軍墓地で実施されるようになった。その後、平成15年に旧海軍戦死者等及び海上自衛隊殉職者を共に慰霊顕彰する碑として「海の防人之碑」が建立され、この時から従来からある旧海軍戦死者、殉職者を慰霊する「慰霊殿」と「海の防人之碑」双方を対象に慰霊を行うという昨年までの行事の骨子ができたものと考えられる。
現在、行事は、佐世保水交会及び佐世保海上自衛隊OB会(昨年10月、佐世保海軍OB会が解散するまでは佐世保海軍OB会も主催者であった。)の共催で実施され、企画調整の主体は水交会が実施している。昨年までの行事は、海戦の偉業を後世に伝え、往時を偲ぶとともに、旧海軍戦死者等及び海上自衛隊殉職者の慰霊を目的に県、市関係者、旧海軍関係者、自衛隊関係者(佐世保教育隊の新入隊員を含む)、関連団体等の参列を得て実施されてきた。行事は、慰霊と祝賀をテーマに海軍墓地の屋外で実施される式典と、式典終了後、墓地内にある参拝者休憩所で行われる祝賀会で構成されていた。(従来の次第及び新たな次第は、以下のとおり。)

(2)従来の記念行事の実施要領を変更するに至った理由
昨年までの行事は、先達の努力により洗練された厳粛な雰囲気の中、整斉と実施され、印象的な行事となったが、相反する慰霊と祝賀というテーマを同時に実施し、また墓地という環境で祝賀を実施するという構造的問題を、式典では実質的に慰霊を主体とし、式典終了後の祝賀会で戦勝を祝うことにより解決してきた。しかし、祝賀会には、収容人数の関係で、一部の参列者しか参加できないことから、本行事は、全体として慰霊色が強く、特に祝賀会に参加できない新入隊員等には、本行事の本来の目的が理解しにくいものとなっていた。また、日本海海戦の戦死者のみでなく、旧海軍戦死者等及び海自殉職者をこの行事において慰霊することに関する理論整理がやや不明確であった。
さらに、参列される方などのご負担を軽減することも必要になってきたと考えた。特に現在、海上自衛隊は、我が国を取り巻く安全保障環境下、限られた人員、艦艇等の装備で、防衛の最前線に立ち多忙を極めていることから、行事を本来の目的を達成しつつ、多少でも効率化することができないかを検討する必要があった。
このため佐世保水交会では、今年が、新たな御代の初年、佐世保鎮守府開庁130周年、佐世保港開港130周年の節目の年となることもあり、昨年の行事終了後から1年をかけて行事のあり方を検討した。

2 行事のあり方の検討状況及び新たな行事の基本概念

(1)検討の方法
検討は、特に慰霊顕彰儀礼については、心の問題を扱うことから、冷静な分析のための科学的手法として構造主義、象徴文化人類学(記号論)等の文化人類学的切り口で、我が国及び各国(英連邦等)における慰霊顕彰儀礼・戦勝記念儀式の状況を確認した。特に儀礼・儀式の「構造」(構造主義が提議する深層にあって人間の行動を規定する原理等)の探求及び儀式の効果を高めるための象徴記号[2]としての音楽(ラッパ等)、花、旗等に注目した。また、戦勝記念儀式の部分に関しては、文化人類学における儀礼・儀式の機能面に注目した機能主義[3]による分析も併用した。

(2)検討の結果
検討の結果、民族、宗教にかかわりなく多くの儀礼・儀式の底流には、死と再生の「構造」があり、その再生は、死者の使命、役割の継承によりなされるという解釈ができると考えた。例えば、王の戴冠式は、旧王の死と新王が王権を継承することによる王の再生であり、王冠は、王の継承すべき使命と役割の象徴である。
儀礼・儀式における死者から生者への使命の継承の象徴性は、英連邦諸国のリメンブランス・デー(第1次世界大戦の終結を記念して行われる戦没者追悼の日)の慰霊顕彰儀礼にもみられる。同儀礼のモチーフとなっているのは第1次大戦で戦友を亡くし、自身もほどなく戦病死したカナダの陸軍中佐であり、医師であったジョン・マクレーの「フランダースの野に」[4]の詩である。この詩には、死者が生者に国を守るため戦うことを象徴するトーチを託すことが描写されており、使命の継承が死者の慰霊顕彰となるとの考え方が見られる。
旧海軍、海上自衛隊は、任を離れるとき、「願います」と言って次の者にことを託す伝統を有していることからも、この考え方は本行事と親和性が高いと考えた。
また、戦勝記念儀式に関しては、機能主義的な観点からは、歴史を伝えること、祝賀をすることはあくまで手段であり、その目的は、集団としてのアイデンティティの強化(本行事においては、海上武人としてのアイデンティティ)にあるのではないかと考えた。そしてアィデンティティの強化のためには、集団の使命を再確認することとともに、実体のない形式の重視ではなく、形骸としての過去を否定し[5]、創造性を発揮することにより正しく過去へとつながる[6]伝統を継承することが重要と考えた。
また、機能主義的観点からは、慰霊顕彰儀礼も、集団のアイデンティティ強化に資するものであると考えた。

(3)新たな行事の基本概念
この検討結果を受け、本行事においては、最初に慰霊顕彰にかかわる次第を行い、英霊の死を象徴し、その後の式典の各次第により旧海軍から海上自衛隊へとつながる伝統、使命の継承によるその再生を象徴することとし、これにより慰霊顕彰部分のみではなく、式典部分も慰霊顕彰の意味を持つものとした。同時に、この式典部分は、本来の戦勝記念儀式として海上武人のアイデンティティの強化に資するものであるという2重の位置づけとすることを企図した。また英霊の死と再生を象徴する慰霊顕彰・式典は、アイデンティティの強化にも寄与するものと考えた(下図参照)。

具体的には、最初に、旧海軍記念日にあたり、国を守るために命を捧げられた旧海軍軍人及び海上自衛官の慰霊顕彰のための献花等を行うことにより英霊の死を象徴した。その後、式典に移行して、日本海海戦の様相を継時的に描写した日本海海戦の歌を斉唱してその偉業を追体験するとともに連合艦隊解散の辞を拝聴することとした。解散の辞を拝聴することとしたのは、解散の辞には、海軍力の意義と平時の軍人の心構えが述べられており、そこには、参列者が継承すべき使命及び伝統を考察するヒントがあると考えたからである。これにより式典の一連の次第の流れの中、日本海海戦の勝利を祝賀するとともに、本行事参加者が日本海海戦の偉業を通じて国を守るという使命及び海上武人としての伝統の意義を考察する機会を作為し、式典が、使命、伝統の継承による英霊の再生を象徴するとともに、海上武人としてのアイデンティティの強化に資するものとなることを企図した。

そして式典部分は、祝賀でありつつ慰霊顕彰の意味を持つこととなり、慰霊顕彰と祝賀を同時に墓地という環境で実施することによる構造的問題を解決するとともに5月27日に慰霊顕彰儀礼を行う意味を明確化することを図った。
また、これらの次第により式典の中で本行事の目的を概ね達成できること及び参加される方などのご負担を考慮し祝賀会を実施しないこととした。

3 当日の状況

(1)天候及びその対応状況、参列者等
当日の天気予報は、行事の開始時に小雨が降り始めるという主催者が判断に悩むものであったが、風が強いことが予想され、小雨とはいえ天幕内に雨が降りこむ可能性及び新入隊員の教育隊から会場への移動が徒歩であることを考慮し、大事を取って雨天の位置である墓地参拝者休憩所で実施した。
実施要領を変更して初めての実施であることに加え10年ぶりの雨天の位置での実施であったが、行事の準備・運営は、主催団体各役員の適応力の高さに助けられ、大きな混乱もなく整斉と実施することができた。
式には、来賓として、菊地聡佐世保地方総監、朝長則男佐世保市長をはじめ、多数の県、市、諸団体の代表の方及び海上自衛隊の指揮官、先任伍長の参列を得られたものの、雨天の位置の収容人数の関係で事前計画のとおり新入隊員の参加は40名に制限した。実際に雨天の位置でやってみて、一部の新入隊員しか参列できないことは、本行事の目的から、大きな問題であり、今後、対応策を検討していく必要があることを実感した。

(2)慰霊顕彰の状況
行事の慰霊顕彰部分は、海軍の戦死者等及び海自殉職者の御霊に黙祷を捧げることにより始まった。献花は、「海の防人之碑」に対して主催者の外村佐世保水交会会長、松田海自佐世保OB会会長、海自を代表して菊地総監、地元を代表して朝長市長、そして最後に新たに海上武人の「トーチ」を受け継ぐ新入隊員の男女の代表1名ずつに行っていただいた。

献花の中心を従来の慰霊殿及び海の防人之碑双方から、海の防人之碑としたのは、海の防人之碑は、海軍、海自双方の慰霊顕彰を目的として建立されており、本行事の海軍から海上自衛隊への使命の継承というテーマに合致すると考えたからである。また、慰霊殿を対象とした慰霊は、佐世保市の戦没者追悼式で実施され、海の防人之碑に祀られた海自殉職者の追悼は自衛隊記念日で実施されるが、海の防人之碑に祀られた海軍の戦死者等の慰霊顕彰をする機会は、本行事だけであることも考慮した。
その後、従来の献詠に加え、海軍、海上自衛隊において、一日の日課の終わりの際に吹奏される巡検ラッパにより英霊の任務の完了を象徴し、安らかな休息を願った。

(3)式典の状況
式典に移行して冒頭に勇壮な出港ラッパを吹奏することにより、巡検ラッパの物悲しい音色との対比から、慰霊から祝賀への移行を象徴させ、行事のトーンを変える音楽でいうところの転調を図った。
式辞においては、外村会長から、式典に先立ち佐世保海軍OB会が昨年10月に解散したことを英霊に報告したこと、及び行事のやり方を変更した経緯、変更後の行事の考え方の説明がなされた。そしてイギリスの歴史家トインビーの「国民が歴史を忘れた時、その国は滅びる」という教訓の重要性をダンスホールとなっていた記念艦三笠の復興が英国人により提唱された事例及び我が国における東郷元帥に関する不適切な教育の事例をつうじて述べられた。

菊地総監の祝辞においては、日本海海戦の意義及び国力を冷徹に見据えた明治政府の戦争指導について述べられるとともに、連合艦隊解散の辞を引用して海軍からの伝統を引継ぎ、我が国領域を守り抜く決意が示された。
朝長市長の祝辞においては、日露戦争の歴史的意義及びその偉業を偲びつつ、国防の重要性と平和の尊さを再認識する意義について語られた。また慰霊の場としての佐世保海軍墓地の意義について言及がなされた。最後に国の平和と安全を守る自衛隊を今後も地元として支えていくことが述べられた。
日本海海戦の歌は、15番まで斉唱すると約6分間かかることから、従来の祝賀会においては、長くても6番までしか斉唱されてこなかったが、日本海海戦を追体験するとの観点から、やや長いものの海戦の終結を描写した12番まで斉唱した。
そして、東郷元帥に代表される当時の日本海軍の方々のご功績に敬意を表すとともに「連合艦隊解散の辞」拝聴の前の連合艦隊司令長官たる東郷「大将」への敬礼を模して東郷元帥像へ一礼を行った。
連合艦隊解散の辞の拝聴においては、東郷元帥の肉声の音源を放送したが、明治期の漢文調の文章は聞くだけでは内容の理解が難しいことから、参列者に配布するパンフレットに難読漢字にはルビを振り、難解な表現には口語訳の注釈をつけた解散の辞を添付し、拝聴時に読んでもらうことでその内容の理解を図った。
最後に馬郡謙一佐世保防衛経済クラブ会長が、海の防人之碑に正対して、114年前に想いを馳せるとともに、亡くなられた海軍、海自の方々の慰霊とその思いを受け継ぎ果たすことを誓うこと及び我が国の安寧を祈念して万歳三唱の発声を行われた。

(4)祝賀会を実施しないことの代替としての御菓子の配布
祝賀会を実施しないことから、明治38年日本海海戦の年に創業した佐世保四カ町にある御菓子司松月堂様のご協力を得て同社の代表的銘菓である入船の「入船」の文字を海軍軍人及び海上自衛官が最も好きな言葉の一つである「入港」に、「南蛮船」を「戦艦三笠」に変えた特製の包装紙に入った入船を作成し、参列者の皆様にお配りするとともに、新入隊員にもお福分けさせていただいた。本行事の次第には、出港ラッパはあるが、入港にかかわる次第はなく、参列者には、お帰りになられた後、この「入港」を召し上がっていただくことで、日本海海戦の後、佐世保に凱旋入港した連合艦隊に想いを馳せていただくことを企図した。

おわりに
上皇陛下から、天皇陛下への皇位継承は、ご崩御に伴うものではなく、生前退位という形で行われたが、そこには、使命の継承による天皇陛下の再生の構造が見られたと考える。80歳を超えても日本国および日本国民統合の象徴として国民の安寧と幸せを願い、各地をご訪問されてきた上皇陛下から天皇陛下へ託された3種の神器は、その使命の継承を象徴しているとも考えられる。
我々も、新たに即位された天皇陛下と皇后陛下の穏やか笑顔とその笑顔の奥にあるその使命への強い決意をテレビ等で拝見して、自分たちの日本国民としてのアィデンティティを確認するとともに静かな愛国心を感じたのではないかと思う。
本行事は、皇位継承にかかわる行事に比ぶべくもないが、奇しくも予定外の報道機関のインタビューにおいて献花を行った新入隊員が「自分も自衛官として国を守っていくという気持ちを込めて花を手向けました」とコメントしており、多少とも本行事の目的は達成されたのではないかと感じた。
最後に本行事の設営等に協力していただいた佐世保教育隊、多忙な業務の中、ラッパ隊を派出していただいた各部隊、各部隊との調整等にあたっていただいた総監部、本行事に参加していただいた皆様に心から感謝いたします。

(総務幹事筧記)

[1] 実際に日本海海戦記念行事を114回実施しているかの検証はできていない。このため平成30年度より、行事の名称として、従来の回次方式ではなく、呼称としての過誤の可能性がない周年方式の名称を使用するよう変更し、昨年は日本海海戦第113周年として実施した。

[2] ここでいう象徴記号は、次のような考え方を意味している。

・米国の文化人類学者ギアツは「文化は象徴と意味の体系」としており、象徴は文化を構成する大きな要素である。象徴記号の例として、十字架は、物質的には、単なる十字の形をした金属片であるにかかわらず、キリスト教の多くのことを象徴していることなどがあげられる。
・メタファー「象徴的表現」を使用することは音楽、文学等の芸術的分野において、直接的表現にはないその美的効果から、よりメッセージ性を高めることができる。

[3] 機能主義とは、儀式・儀礼等の社会での役割(機能面)に注目して、その儀礼・儀式を分析する手法である。機能主義の嚆矢は、マリノフスキーによるニューギニアの「クラ」と呼ばれる儀式の研究である。同儀式は、西洋人から、非合理的な呪術的儀式と見られていたが、マリノフスキーは同儀式には、部族の凝集性を高める等の合理的で重要な機能があることを発見した。

[4] 「フランダースの野に」の詩は次のとおり。 

フランダースの野にポピーの花は咲く
十字架の列また列の間に
十字架は我々がいる場所をしるす。空には
ひばりがいまだ勇敢に啼きながら飛ぶ
眼下の砲声の中、かすかに聞こえる

我々は死者、何日か前まで
我々は生きていた、日の出を感じ、夕焼けを見ていた
愛し、愛されていた。今は横たわる
フランダースの野に

 敵との争いを引き継いでほしい
あなたに、我々の崩れ落ちる手から投ぜられた
そのトーチを高々と掲げてほしい
死んだ我々との約束が破られたなら
我々は眠らないであろう、ポピーが咲こうとも
フランダースの野に

(筆者仮訳) 

また、リメンブランス・デーにおいては、この詩のポピーにちなみ、公職にあるものや、テレビのアナウンサーが、日本の赤い羽根のように襟にポピーの造花をつける習慣がある。

[5] 辻井喬「伝統の創造力」岩波新書 2001年12月 pp7  

[6] 岡本太郎「日本の伝統」光文社 1956年9月 pp71

平成30年現役とのBBQ

海軍兵学校針尾分校の碑周辺を清掃

   佐世保水交会は、令和元年六月八日、平成十八年から実施している海軍兵学校針尾分校の碑周辺を対象とした清掃作業を実施した。  これは、同年から、海軍兵学校第七十八期会から委託を受けた佐世保水交会が同幹事数名により毎月を基準に清掃作業を継続してきたところ、長年にわたる樹木の実や、流れ込む泥土により、針尾分校の碑周辺の舗装が黒ずんできたことから実施したもので、幹事十名あまりにより、デッキブラシ等により舗装部分の泥土等を除去し、美観を回復しようと行ったものである。

 針尾分校の碑は、JRハウステンボス駅の早岐瀬戸をはさんだ対岸のハウステンボスにごく近い位置にあり、分校開校・閉校からすでに七十四年が経過している。   この地にかつてひっ迫する国情を憂い、四千名あまりの若い士官候補生が勉学していたことを知る者は多くはない。   同碑及び周辺を端正な状態で維持することが、七十八期生の意志を後生に語り継ぐ一助になればとの思いで実施しているところである。(文: 林田幹事・写真:外村会長)

令和に向けた定期総会・懇親会を開催

 佐世保支部(会長:外村 尚敏)は、令和に向けた平成最後の総会・懇親会を、4月13日(土)に実施しました。開会に先立ち、新元号“令和”の発表を待たずしてご逝去された7名の会員の方々に対し、黙祷が捧げられました。 うち6名は、80~90歳台であり、まさに昭和の激動の時代を生き抜き、今の日本の礎を築かれた方々でした。 この中には、水交会佐世保支部初代会長を務められた、海兵76期 甫立 一郎(ほたていちろう)様(享年91歳)もおられます。

 次に、春・秋の叙勲受章者会員5名の方々の紹介がありました。 なお、昨年12月に「佐世保市長、佐世保地方総監等10者発起人による叙勲褒章受章祝賀会」が企画され、佐世保水交会を代表して、外村会長が参会しています。 総会の後、「今後の海上自衛隊の方向性と課題」という演題で、佐世保地方総監 菊地 聡(きくちさとし)様に講演をいただきました。政府は昨年12月18日、「新たな防衛の大綱(防衛大綱)」及び「中期防衛力整備計画(中期防)2019~23年度」を閣議決定したところです。 前大綱に掲げられた「統合機動防衛力」に代わる新たな概念、「多次元統合防衛力」などに関し、具体的な「宇宙・サイバー・電磁波領域の能力強化」などの説明がなされました。私達会員のほとんどは、情勢の大きな変化についていけない感が多分にあり、このような講演が極めて貴重な勉強の場であることを改めて実感した次第でした。

 講演に引き続き懇親会を実施、外村会長は、挨拶の冒頭に赤星慶治水交会理事長からの祝辞を披露、その後、本年度の会勢拡充における会員目標数を285名とするなど会員等に協力を求めました。

 さて、読者の皆様、すでにご存じでしょうが、新元号“令和”は、万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の序文の文言を出典としているそうです。梅は、中国から渡ってきた渡来の花です。 奈良時代、唐では華やかな文化が栄え、我が国は遣唐使を派遣してその文化を取り入れました。 このとき渡来したのが梅でした。万葉集に読まれている歌で最も多いのが「萩(はぎ)の花」であり、それに続くのが「梅の花」だそうです。雛人形(ひなにんぎょう)を飾るとき、男雛、女雛の前には、向かって右に「桜」を、左に「橘」を飾ります。 これは、京都御所の紫宸殿(ししんでん)の前に、向かって右に桜が左に橘が植えられていたことに由来します。

 ところが、この「桜」は、もともとは「梅」であったそうです。詳細は省きますが、村上天皇(平安時代中期の第62代天皇)のとき、この梅の木が火災で倒れ、これに代わって桜が植えられたことが、梅から桜に代わった理由との説があります。このことがなければ、“七つボタンは桜に錨”ではなく“梅に錨”であったかもしれませんね。いずれにしても、日本において元号が変わるということは、新しい時代の幕開けということになります。

 当支部におきましても、新しい時代にふさわしい思想、心情をもって、「海上自衛隊に対する協力支援」「慰霊顕彰」などの活動に邁進すべく、決意を新たにしているところです。

 最後に、御多用中にもかかわらず参加をいただきました、菊地佐世保地方総監、各指揮官、先任伍長、北村誠吾衆議院議員、朝長則男佐世保市長、田中丸善保佐世保自衛隊後援会会長代行をはじめ、多くの御来賓の方々に対し、本紙面を借りまして、改めて厚く御礼申し上げます。(文:細國副会長  写真:林田幹事)

平成30年度部隊等研修「陶芸体験」

台風24号が日本列島太平洋側を駆け抜けた930日(日)、水交会佐世保支部は平成30年度部隊等研修として、海自OBで水交会会員である木下博会員(平成16年幹部予定者課程)が奥様とともに主宰する「ひな窯」(住所:佐賀県嬉野町下宿甲3305-1 電話:090-4999-8260)で「陶芸体験」を実施しました。

参加会員は当日の課題であるWelcomeボードの制作に取組むことになりましたが、まずは、陶芸の基本である「紐」作りに四苦八苦してしまいました。この紐は、ボードの上に文字や模様を形作るものですが、木下会員と奥様が手本を示してくれるものの、同じようにやっているように見えても力の入れ具合がわからず、太くなったり、細くなって切れそうになったり、それでも参加者の皆さんは童心に帰り、錨や花を表現するなど、和気あいあいの雰囲気の中、思い思いの作品に仕上げていました。

Welcomeボードが思ったより早く仕上がったことから、木下夫妻の計らいで器を製作することになり、今度は手回しのロクロに挑戦しました。奥様のためにマグカップを製作する方、料理を盛り付ける皿を作成する方など、作品は各人様々でしたが、出来上がった作品を眺め、これに色を付けて頂き超一級の作品に焼きあがることを夢見ているのか、皆さん満足そうな表情を浮かべていました。

参加者の皆さんからは、大変楽しく、貴重な機会であったとの所見を得ることができました。

今回研修の場を提供していただいた木下会員は、有田窯業大学校で陶芸を学び、自宅傍らに「ひな窯」を構え、奥様とともに、素材の味を活かした素朴な可愛い陶器のお人形や器を作っています。奥様は様々な展覧会で賞をいただいており、窯には多くの観光客も訪れるほどに活躍されています。手びねり、ろくろ、絵付けの陶芸体験もできますので、嬉野にお出かけの際には是非一度、訪れてみてはいかがでしょうか。(水交会佐世保支部 二瓶幹事)