佐世保水交会

役員等
会 長    外村 尚敏                                        副会長     千葉   敢三                                         副会長     細國 春夫                                          副会長     田島 髙明                                         副幹事長  舩渡 健                                            総務幹事  筧  豊隆
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佐世保水交会

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佐世保における日本海海戦114周年記念行事について

1 行事の概要及び本年から実施要領を変更することとなった経緯

(1)行事の概要 
   佐世保における日本海海戦記念式典は、戦後も海友会等の旧海軍関連団体等により途切れることなく亀山八幡宮の敷地内にある東郷元帥揮毫の忠魂碑の前で行われていた[1]。そして平成5年、佐世保の篤志家達により東郷元帥像が東山海軍墓地に建立されたことを契機に海軍墓地で実施されるようになった。その後、平成15年に旧海軍戦死者等及び海上自衛隊殉職者を共に慰霊顕彰する碑として「海の防人之碑」が建立され、この時から従来からある旧海軍戦死者、殉職者を慰霊する「慰霊殿」と「海の防人之碑」双方を対象に慰霊を行うという昨年までの行事の骨子ができたものと考えられる。
   現在、行事は、佐世保水交会及び佐世保海上自衛隊OB会(昨年10月、佐世保海軍OB会が解散するまでは佐世保海軍OB会も主催者であった。)の共催で実施され、企画調整の主体は水交会が実施している。昨年までの行事は、海戦の偉業を後世に伝え、往時を偲ぶとともに、旧海軍戦死者等及び海上自衛隊殉職者の慰霊を目的に県、市関係者、旧海軍関係者、自衛隊関係者(佐世保教育隊の新入隊員を含む)、関連団体等の参列を得て実施されてきた。行事は、慰霊と祝賀をテーマに海軍墓地の屋外で実施される式典と、式典終了後、墓地内にある参拝者休憩所で行われる祝賀会で構成されていた。(従来の次第及び新たな次第は、以下のとおり。)

(2)従来の記念行事の実施要領を変更するに至った理由
   昨年までの行事は、先達の努力により洗練された厳粛な雰囲気の中、整斉と実施され、印象的な行事となったが、相反する慰霊と祝賀というテーマを同時に実施し、また墓地という環境で祝賀を実施するという構造的問題を、式典では実質的に慰霊を主体とし、式典終了後の祝賀会で戦勝を祝うことにより解決してきた。しかし、祝賀会には、収容人数の関係で、一部の参列者しか参加できないことから、本行事は、全体として慰霊色が強く、特に祝賀会に参加できない新入隊員等には、本行事の本来の目的が理解しにくいものとなっていた。また、日本海海戦の戦死者のみでなく、旧海軍戦死者等及び海自殉職者をこの行事において慰霊することに関する理論整理がやや不明確であった。
   さらに、参列される方などのご負担を軽減することも必要になってきたと考えた。特に現在、海上自衛隊は、我が国を取り巻く安全保障環境下、限られた人員、艦艇等の装備で、防衛の最前線に立ち多忙を極めていることから、行事を本来の目的を達成しつつ、多少でも効率化することができないかを検討する必要があった。
   このため佐世保水交会では、今年が、新たな御代の初年、佐世保鎮守府開庁130周年、佐世保港開港130周年の節目の年となることもあり、昨年の行事終了後から1年をかけて行事のあり方を検討した。

2 行事のあり方の検討状況及び新たな行事の基本概念

(1)検討の方法
   検討は、特に慰霊顕彰儀礼については、心の問題を扱うことから、冷静な分析のための科学的手法として構造主義、象徴文化人類学(記号論)等の文化人類学的切り口で、我が国及び各国(英連邦等)における慰霊顕彰儀礼・戦勝記念儀式の状況を確認した。特に儀礼・儀式の「構造」(構造主義が提議する深層にあって人間の行動を規定する原理等)の探求及び儀式の効果を高めるための象徴記号[2]としての音楽(ラッパ等)、花、旗等に注目した。また、戦勝記念儀式の部分に関しては、文化人類学における儀礼・儀式の機能面に注目した機能主義[3]による分析も併用した。

(2)検討の結果
  検討の結果、民族、宗教にかかわりなく多くの儀礼・儀式の底流には、死と再生の「構造」があり、その再生は、死者の使命、役割の継承によりなされるという解釈ができると考えた。例えば、王の戴冠式は、旧王の死と新王が王権を継承することによる王の再生であり、王冠は、王の継承すべき使命と役割の象徴である。
   儀礼・儀式における死者から生者への使命の継承の象徴性は、英連邦諸国のリメンブランス・デー(第1次世界大戦の終結を記念して行われる戦没者追悼の日)の慰霊顕彰儀礼にもみられる。同儀礼のモチーフとなっているのは第1次大戦で戦友を亡くし、自身もほどなく戦病死したカナダの陸軍中佐であり、医師であったジョン・マクレーの「フランダースの野に」[4]の詩である。この詩には、死者が生者に国を守るため戦うことを象徴するトーチを託すことが描写されており、使命の継承が死者の慰霊顕彰となるとの考え方が見られる。
  旧海軍、海上自衛隊は、任を離れるとき、「願います」と言って次の者にことを託す伝統を有していることからも、この考え方は本行事と親和性が高いと考えた。
  また、戦勝記念儀式に関しては、機能主義的な観点からは、歴史を伝えること、祝賀をすることはあくまで手段であり、その目的は、集団としてのアイデンティティの強化(本行事においては、海上武人としてのアイデンティティ)にあるのではないかと考えた。そしてアィデンティティの強化のためには、集団の使命を再確認することとともに、実体のない形式の重視ではなく、形骸としての過去を否定し[5]、創造性を発揮することにより正しく過去へとつながる[6]伝統を継承することが重要と考えた。
   また、機能主義的観点からは、慰霊顕彰儀礼も、集団のアイデンティティ強化に資するものであると考えた。

(3)新たな行事の基本概念
    この検討結果を受け、本行事においては、最初に慰霊顕彰にかかわる次第を行い、英霊の死を象徴し、その後の式典の各次第により旧海軍から海上自衛隊へとつながる伝統、使命の継承によるその再生を象徴することとし、これにより慰霊顕彰部分のみではなく、式典部分も慰霊顕彰の意味を持つものとした。同時に、この式典部分は、本来の戦勝記念儀式として海上武人のアイデンティティの強化に資するものであるという2重の位置づけとすることを企図した。また英霊の死と再生を象徴する慰霊顕彰・式典は、アイデンティティの強化にも寄与するものと考えた(下図参照)。

 具体的には、最初に、旧海軍記念日にあたり、国を守るために命を捧げられた旧海軍軍人及び海上自衛官の慰霊顕彰のための献花等を行うことにより英霊の死を象徴した。その後、式典に移行して、日本海海戦の様相を継時的に描写した日本海海戦の歌を斉唱してその偉業を追体験するとともに連合艦隊解散の辞を拝聴することとした。解散の辞を拝聴することとしたのは、解散の辞には、海軍力の意義と平時の軍人の心構えが述べられており、そこには、参列者が継承すべき使命及び伝統を考察するヒントがあると考えたからである。これにより式典の一連の次第の流れの中、日本海海戦の勝利を祝賀するとともに、本行事参加者が日本海海戦の偉業を通じて国を守るという使命及び海上武人としての伝統の意義を考察する機会を作為し、式典が、使命、伝統の継承による英霊の再生を象徴するとともに、海上武人としてのアイデンティティの強化に資するものとなることを企図した。

 そして式典部分は、祝賀でありつつ慰霊顕彰の意味を持つこととなり、慰霊顕彰と祝賀を同時に墓地という環境で実施することによる構造的問題を解決するとともに5月27日に慰霊顕彰儀礼を行う意味を明確化することを図った。
  また、これらの次第により式典の中で本行事の目的を概ね達成できること及び参加される方などのご負担を考慮し祝賀会を実施しないこととした。 

3 当日の状況

(1)天候及びその対応状況、参列者等
 当日の天気予報は、行事の開始時に小雨が降り始めるという主催者が判断に悩むものであったが、風が強いことが予想され、小雨とはいえ天幕内に雨が降りこむ可能性及び新入隊員の教育隊から会場への移動が徒歩であることを考慮し、大事を取って雨天の位置である墓地参拝者休憩所で実施した。
 実施要領を変更して初めての実施であることに加え10年ぶりの雨天の位置での実施であったが、行事の準備・運営は、主催団体各役員の適応力の高さに助けられ、大きな混乱もなく整斉と実施することができた。
  式には、来賓として、菊地聡佐世保地方総監、朝長則男佐世保市長をはじめ、多数の県、市、諸団体の代表の方及び海上自衛隊の指揮官、先任伍長の参列を得られたものの、雨天の位置の収容人数の関係で事前計画のとおり新入隊員の参加は40名に制限した。実際に雨天の位置でやってみて、一部の新入隊員しか参列できないことは、本行事の目的から、大きな問題であり、今後、対応策を検討していく必要があることを実感した。

(2)慰霊顕彰の状況
 行事の慰霊顕彰部分は、海軍の戦死者等及び海自殉職者の御霊に黙祷を捧げることにより始まった。献花は、「海の防人之碑」に対して主催者の外村佐世保水交会会長、松田海自佐世保OB会会長、海自を代表して菊地総監、地元を代表して朝長市長、そして最後に新たに海上武人の「トーチ」を受け継ぐ新入隊員の男女の代表1名ずつに行っていただいた。

 献花の中心を従来の慰霊殿及び海の防人之碑双方から、海の防人之碑としたのは、海の防人之碑は、海軍、海自双方の慰霊顕彰を目的として建立されており、本行事の海軍から海上自衛隊への使命の継承というテーマに合致すると考えたからである。また、慰霊殿を対象とした慰霊は、佐世保市の戦没者追悼式で実施され、海の防人之碑に祀られた海自殉職者の追悼は自衛隊記念日で実施されるが、海の防人之碑に祀られた海軍の戦死者等の慰霊顕彰をする機会は、本行事だけであることも考慮した。
   その後、従来の献詠に加え、海軍、海上自衛隊において、一日の日課の終わりの際に吹奏される巡検ラッパにより英霊の任務の完了を象徴し、安らかな休息を願った。

(3)式典の状況
 式典に移行して冒頭に勇壮な出港ラッパを吹奏することにより、巡検ラッパの物悲しい音色との対比から、慰霊から祝賀への移行を象徴させ、行事のトーンを変える音楽でいうところの転調を図った。
 式辞においては、外村会長から、式典に先立ち佐世保海軍OB会が昨年10月に解散したことを英霊に報告したこと、及び行事のやり方を変更した経緯、変更後の行事の考え方の説明がなされた。そしてイギリスの歴史家トインビーの「国民が歴史を忘れた時、その国は滅びる」という教訓の重要性をダンスホールとなっていた記念艦三笠の復興が英国人により提唱された事例及び我が国における東郷元帥に関する不適切な教育の事例をつうじて述べられた。

 菊地総監の祝辞においては、日本海海戦の意義及び国力を冷徹に見据えた明治政府の戦争指導について述べられるとともに、連合艦隊解散の辞を引用して海軍からの伝統を引継ぎ、我が国領域を守り抜く決意が示された。
 朝長市長の祝辞においては、日露戦争の歴史的意義及びその偉業を偲びつつ、国防の重要性と平和の尊さを再認識する意義について語られた。また慰霊の場としての佐世保海軍墓地の意義について言及がなされた。最後に国の平和と安全を守る自衛隊を今後も地元として支えていくことが述べられた。
 日本海海戦の歌は、15番まで斉唱すると約6分間かかることから、従来の祝賀会においては、長くても6番までしか斉唱されてこなかったが、日本海海戦を追体験するとの観点から、やや長いものの海戦の終結を描写した12番まで斉唱した。
 そして、東郷元帥に代表される当時の日本海軍の方々のご功績に敬意を表すとともに「連合艦隊解散の辞」拝聴の前の連合艦隊司令長官たる東郷「大将」への敬礼を模して東郷元帥像へ一礼を行った。
 連合艦隊解散の辞の拝聴においては、東郷元帥の肉声の音源を放送したが、明治期の漢文調の文章は聞くだけでは内容の理解が難しいことから、参列者に配布するパンフレットに難読漢字にはルビを振り、難解な表現には口語訳の注釈をつけた解散の辞を添付し、拝聴時に読んでもらうことでその内容の理解を図った。
 最後に馬郡謙一佐世保防衛経済クラブ会長が、海の防人之碑に正対して、114年前に想いを馳せるとともに、亡くなられた海軍、海自の方々の慰霊とその思いを受け継ぎ果たすことを誓うこと及び我が国の安寧を祈念して万歳三唱の発声を行われた。

(4)祝賀会を実施しないことの代替としての御菓子の配布
 祝賀会を実施しないことから、明治38年日本海海戦の年に創業した佐世保四カ町にある御菓子司松月堂様のご協力を得て同社の代表的銘菓である入船の「入船」の文字を海軍軍人及び海上自衛官が最も好きな言葉の一つである「入港」に、「南蛮船」を「戦艦三笠」に変えた特製の包装紙に入った入船を作成し、参列者の皆様にお配りするとともに、新入隊員にもお福分けさせていただいた。本行事の次第には、出港ラッパはあるが、入港にかかわる次第はなく、参列者には、お帰りになられた後、この「入港」を召し上がっていただくことで、日本海海戦の後、佐世保に凱旋入港した連合艦隊に想いを馳せていただくことを企図した。

          

 おわりに
 上皇陛下から、天皇陛下への皇位継承は、ご崩御に伴うものではなく、生前退位という形で行われたが、そこには、使命の継承による天皇陛下の再生の構造が見られたと考える。80歳を超えても日本国および日本国民統合の象徴として国民の安寧と幸せを願い、各地をご訪問されてきた上皇陛下から天皇陛下へ託された3種の神器は、その使命の継承を象徴しているとも考えられる。
 我々も、新たに即位された天皇陛下と皇后陛下の穏やか笑顔とその笑顔の奥にあるその使命への強い決意をテレビ等で拝見して、自分たちの日本国民としてのアィデンティティを確認するとともに静かな愛国心を感じたのではないかと思う。
 本行事は、皇位継承にかかわる行事に比ぶべくもないが、奇しくも予定外の報道機関のインタビューにおいて献花を行った新入隊員が「自分も自衛官として国を守っていくという気持ちを込めて花を手向けました」とコメントしており、多少とも本行事の目的は達成されたのではないかと感じた。
 最後に本行事の設営等に協力していただいた佐世保教育隊、多忙な業務の中、ラッパ隊を派出していただいた各部隊、各部隊との調整等にあたっていただいた総監部、本行事に参加していただいた皆様に心から感謝いたします。

(総務幹事筧記)

[1] 実際に日本海海戦記念行事を114回実施しているかの検証はできていない。このため平成30年度より、行事の名称として、従来の回次方式ではなく、呼称としての過誤の可能性がない周年方式の名称を使用するよう変更し、昨年は日本海海戦第113周年として実施した。

[2] ここでいう象徴記号は、次のような考え方を意味している。

・米国の文化人類学者ギアツは「文化は象徴と意味の体系」としており、象徴は文化を構成する大きな要素である。象徴記号の例として、十字架は、物質的には、単なる十字の形をした金属片であるにかかわらず、キリスト教の多くのことを象徴していることなどがあげられる。
・メタファー「象徴的表現」を使用することは音楽、文学等の芸術的分野において、直接的表現にはないその美的効果から、よりメッセージ性を高めることができる。

[3] 機能主義とは、儀式・儀礼等の社会での役割(機能面)に注目して、その儀礼・儀式を分析する手法である。機能主義の嚆矢は、マリノフスキーによるニューギニアの「クラ」と呼ばれる儀式の研究である。同儀式は、西洋人から、非合理的な呪術的儀式と見られていたが、マリノフスキーは同儀式には、部族の凝集性を高める等の合理的で重要な機能があることを発見した。

[4] 「フランダースの野に」の詩は次のとおり。 

フランダースの野にポピーの花は咲く
十字架の列また列の間に
十字架は我々がいる場所をしるす。空には
ひばりがいまだ勇敢に啼きながら飛ぶ
眼下の砲声の中、かすかに聞こえる

我々は死者、何日か前まで
我々は生きていた、日の出を感じ、夕焼けを見ていた
愛し、愛されていた。今は横たわる
フランダースの野に

 敵との争いを引き継いでほしい
あなたに、我々の崩れ落ちる手から投ぜられた
そのトーチを高々と掲げてほしい
死んだ我々との約束が破られたなら
我々は眠らないであろう、ポピーが咲こうとも
フランダースの野に

(筆者仮訳) 

また、リメンブランス・デーにおいては、この詩のポピーにちなみ、公職にあるものや、テレビのアナウンサーが、日本の赤い羽根のように襟にポピーの造花をつける習慣がある。

[5] 辻井喬「伝統の創造力」岩波新書 2001年12月 pp7  

[6] 岡本太郎「日本の伝統」光文社 1956年9月 pp71

 

 

 

平成30年現役とのBBQ

 

 

 

海軍兵学校針尾分校の碑周辺を清掃

   佐世保水交会は、令和元年六月八日、平成十八年から実施している海軍兵学校針尾分校の碑周辺を対象とした清掃作業を実施した。  これは、同年から、海軍兵学校第七十八期会から委託を受けた佐世保水交会が同幹事数名により毎月を基準に清掃作業を継続してきたところ、長年にわたる樹木の実や、流れ込む泥土により、針尾分校の碑周辺の舗装が黒ずんできたことから実施したもので、幹事十名あまりにより、デッキブラシ等により舗装部分の泥土等を除去し、美観を回復しようと行ったものである。

 針尾分校の碑は、JRハウステンボス駅の早岐瀬戸をはさんだ対岸のハウステンボスにごく近い位置にあり、分校開校・閉校からすでに七十四年が経過している。   この地にかつてひっ迫する国情を憂い、四千名あまりの若い士官候補生が勉学していたことを知る者は多くはない。   同碑及び周辺を端正な状態で維持することが、七十八期生の意志を後生に語り継ぐ一助になればとの思いで実施しているところである。(文: 林田幹事・写真:外村会長)

令和に向けた定期総会・懇親会を開催

 佐世保支部(会長:外村 尚敏)は、令和に向けた平成最後の総会・懇親会を、4月13日(土)に実施しました。開会に先立ち、新元号“令和”の発表を待たずしてご逝去された7名の会員の方々に対し、黙祷が捧げられました。 うち6名は、80~90歳台であり、まさに昭和の激動の時代を生き抜き、今の日本の礎を築かれた方々でした。 この中には、水交会佐世保支部初代会長を務められた、海兵76期 甫立 一郎(ほたていちろう)様(享年91歳)もおられます。

 次に、春・秋の叙勲受章者会員5名の方々の紹介がありました。 なお、昨年12月に「佐世保市長、佐世保地方総監等10者発起人による叙勲褒章受章祝賀会」が企画され、佐世保水交会を代表して、外村会長が参会しています。 総会の後、「今後の海上自衛隊の方向性と課題」という演題で、佐世保地方総監 菊地 聡(きくちさとし)様に講演をいただきました。政府は昨年12月18日、「新たな防衛の大綱(防衛大綱)」及び「中期防衛力整備計画(中期防)2019~23年度」を閣議決定したところです。 前大綱に掲げられた「統合機動防衛力」に代わる新たな概念、「多次元統合防衛力」などに関し、具体的な「宇宙・サイバー・電磁波領域の能力強化」などの説明がなされました。私達会員のほとんどは、情勢の大きな変化についていけない感が多分にあり、このような講演が極めて貴重な勉強の場であることを改めて実感した次第でした。

 講演に引き続き懇親会を実施、外村会長は、挨拶の冒頭に赤星慶治水交会理事長からの祝辞を披露、その後、本年度の会勢拡充における会員目標数を285名とするなど会員等に協力を求めました。

 さて、読者の皆様、すでにご存じでしょうが、新元号“令和”は、万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」の序文の文言を出典としているそうです。梅は、中国から渡ってきた渡来の花です。 奈良時代、唐では華やかな文化が栄え、我が国は遣唐使を派遣してその文化を取り入れました。 このとき渡来したのが梅でした。万葉集に読まれている歌で最も多いのが「萩(はぎ)の花」であり、それに続くのが「梅の花」だそうです。雛人形(ひなにんぎょう)を飾るとき、男雛、女雛の前には、向かって右に「桜」を、左に「橘」を飾ります。 これは、京都御所の紫宸殿(ししんでん)の前に、向かって右に桜が左に橘が植えられていたことに由来します。

 ところが、この「桜」は、もともとは「梅」であったそうです。詳細は省きますが、村上天皇(平安時代中期の第62代天皇)のとき、この梅の木が火災で倒れ、これに代わって桜が植えられたことが、梅から桜に代わった理由との説があります。このことがなければ、“七つボタンは桜に錨”ではなく“梅に錨”であったかもしれませんね。いずれにしても、日本において元号が変わるということは、新しい時代の幕開けということになります。

 当支部におきましても、新しい時代にふさわしい思想、心情をもって、「海上自衛隊に対する協力支援」「慰霊顕彰」などの活動に邁進すべく、決意を新たにしているところです。

 最後に、御多用中にもかかわらず参加をいただきました、菊地佐世保地方総監、各指揮官、先任伍長、北村誠吾衆議院議員、朝長則男佐世保市長、田中丸善保佐世保自衛隊後援会会長代行をはじめ、多くの御来賓の方々に対し、本紙面を借りまして、改めて厚く御礼申し上げます。(文:細國副会長  写真:林田幹事)

 

佐世保よさこい祭り出場の海闘チームの激励会

  水交会佐世保支部では、1014()、佐世保よさこい祭りに海上自衛官を主体として出場する唯一のチームである海闘の激励会を実施いたしました。

   本激励会は、佐世保防衛経済クラブ、隊友会佐世保支部及び佐世保海上自衛隊OB会と共催で海闘を応援するため行われたもので、調整・企画を水交会が担当いたしました。 海闘代表からの海闘の概要紹介の後、舞の披露をしていただきました。その後、各団体から、よさこい本番では、食事をとる時間もないことから簡易に栄養補給ができるゼリー型の栄養食品などの差入れ品を手渡すとともに、かわいらしい子供たちのメンバーにはハロウィンのお菓子をプレゼントし、激励しました。

  最後に、菊地聡佐世保地方総監から海闘に激励の言葉と、激励会を催した各団体に感謝の言葉をいただきました。 本年は、佐世保地方隊創設65周年、海闘結成10周年にあたることもあり、海闘のメンバーには、総監部各部長、佐世保警備隊司令、佐世保海上訓練指導隊司令、ちょうかい艦長という「大物」も加わり人数だけではなく、平均年齢も大幅にアップしておりましたが、演舞披露では、見事な舞を披露していただきました。 佐世保近郊の方は、ぜひ、応援をよろしくお願いいたします(総務幹事筧記)

 

 

平成30年度部隊等研修「陶芸体験」

台風24号が日本列島太平洋側を駆け抜けた930日(日)、水交会佐世保支部は平成30年度部隊等研修として、海自OBで水交会会員である木下博会員(平成16年幹部予定者課程)が奥様とともに主宰する「ひな窯」(住所:佐賀県嬉野町下宿甲3305-1 電話:090-4999-8260)で「陶芸体験」を実施しました。

参加会員は当日の課題であるWelcomeボードの制作に取組むことになりましたが、まずは、陶芸の基本である「紐」作りに四苦八苦してしまいました。この紐は、ボードの上に文字や模様を形作るものですが、木下会員と奥様が手本を示してくれるものの、同じようにやっているように見えても力の入れ具合がわからず、太くなったり、細くなって切れそうになったり、それでも参加者の皆さんは童心に帰り、錨や花を表現するなど、和気あいあいの雰囲気の中、思い思いの作品に仕上げていました。

Welcomeボードが思ったより早く仕上がったことから、木下夫妻の計らいで器を製作することになり、今度は手回しのロクロに挑戦しました。奥様のためにマグカップを製作する方、料理を盛り付ける皿を作成する方など、作品は各人様々でしたが、出来上がった作品を眺め、これに色を付けて頂き超一級の作品に焼きあがることを夢見ているのか、皆さん満足そうな表情を浮かべていました。

参加者の皆さんからは、大変楽しく、貴重な機会であったとの所見を得ることができました。

今回研修の場を提供していただいた木下会員は、有田窯業大学校で陶芸を学び、自宅傍らに「ひな窯」を構え、奥様とともに、素材の味を活かした素朴な可愛い陶器のお人形や器を作っています。奥様は様々な展覧会で賞をいただいており、窯には多くの観光客も訪れるほどに活躍されています。手びねり、ろくろ、絵付けの陶芸体験もできますので、嬉野にお出かけの際には是非一度、訪れてみてはいかがでしょうか。(水交会佐世保支部 二瓶幹事)