佐世保水交会

役員等
会 長
外村 尚敏
副会長
大平 愼一
副会長
細國 春夫
副会長
田島 髙明
副幹事長
舩渡 健
総務幹事
筧  豊隆
連絡先

〒857-0053

佐世保市常盤町8-8 富士ビル3階

佐世保水交会

TEL/FAX:0956-24-1360

荒天時等の際の第113回日本海海戦記念式典の実施態様に関する水交会ホームページ上での連絡(式典参加者向け)について
  来る平成30年5月27日(日)に実施される第113回日本海海戦記念式典の荒天時等の実施態様を本支部だより上でお知らせいたします。
 
連絡内容:以下のいずれかの内容を水交会ホームページの「佐世保支部だより」に掲載いたします。
・「晴天の位置(予定どおり実施いたします)」
・「雨天の位置(教育隊新入隊員以外の参加者に変更はありません)」
・「とりやめ(本年は、残念ながら、○○の理由により日本海海戦記念式典を取りやめます。)」
 
 ホームページ掲載時期:当日0830までに掲載いたします。

 

 

第112回日本海海戦記念式典を挙行

 五月二十七日(土)、佐世保水交会は佐世保海軍OB会、海上自衛隊佐世保OB会とともに日露戦争における「日本海海戦112周年」記念式典を佐世保海軍墓地で挙行した。当日は雲一つないすがすがしい天気となり、墓地内の満開の皐月の中で国旗と「軍艦旗」「Z旗」が良く映えていた。

 式典は、北村誠吾衆議院議員、佐世保市長(東 基地政策局長代理)、市岡佐世保市議会議長をはじめとする県議・市議等、そして前田自衛隊後援会会長をはじめとする地元経済界・友好諸団体の代表、そして現役側からは佐藤佐世保地方総監、出口佐世保地方総監部幕僚長、泉第2護衛隊群司令をはじめとする海上自衛隊の佐世保・大村地区在籍部隊指揮官・先任伍長、陸上自衛隊からは中澤西方混成団長兼相浦駐屯地司令、小野田水陸機動準備隊長、そして本年も佐世保教育隊から自衛官候補生等299名が参列した。さらには、有志、海軍・海自OB等会員あわせて総勢約425名が参列するなか厳粛に執り行われた。

 式典は主催者側を代表して外村佐世保水交会会長が、式典の意義を日本海海戦の戦勝記念と英霊の慰霊を念頭に、ロシアの南下政策打破という国運をかけた日露戦争、とりわけ当該海戦の結果は現代日本の繁栄の礎になったとの認識のもと我々は英霊を偲ぶとともに、先人の遺志を伝承していかなければならないとの決意を述べた。特に、司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」にも登場する「久松五勇士」の史実を詳細に述べ、「手柄話さえ妻にも語らなかった日本人としての美徳」を強調し、現代の日本人が忘れかけている真の生き方は、この精神にあると訴えた。

 佐藤佐世保地方総監は、この旗の国に生まれ、この旗の国に育ち、この旗の国を守る我々にとって、日本海海戦は十分過ぎる教訓であり、海上自衛隊も海軍の先人達の教えを活かし、あらためて職責を全うし任務を果たすと誓われた。

 式典後は墓地休憩所において祝賀会を行った。海上自衛隊現役も多数出席し一般の出席者や海軍・海自OBと和やかに懇談していた。本年は北朝鮮の状況もあり、いつも以上に往時の戦争に至る施策と現代の防衛政策の差異に議論が盛り揚がっていた方々もあったが、参会者一同、国防に対する思いには差異がなく、最後は、「日本海海戦」の歌を声高らかに歌い万歳三唱後、閉会した。 (「日本海海戦」の歌を皆さん、唄えますか?それも6番まで。因みに当支部では事前の打ち合わせと事後の反省会において毎年、交互に必ず出てくる所見が、3番までにすれば『短い!最後まで唄って物語が完結するんだ!』6番までにすれば『長い!3番までで良い!』です。3番又は6番までのどちらかに決して行っても事後の厳しい口調のご指摘は覚悟せざるを得ない担当幹事泣かせの項目です。最近は「6番まで」が定着してきた感がありますが・・・。)

 投稿者は昨年同様、報道担当を仰せつかり各社記者の質問に対応した。翌日の新聞記事は従来の記事と同様の淡々とした内容ではあった。昨年、取材に当たった記者がほとんどであり、昨年と同じ質問をする者もいたが、取材の姿勢は昨今の国際情勢の影響もあるのか真摯なものであった。
 式典に参加するたびに思うのは、海戦勝利に祝意を示すのはもちろん、今日の日本の繁栄の礎となった戦いで散華された英霊に対する慰霊顕彰の継続と、日本海海戦の歴史的意義を伝え続けていくことを水交会会員として誓いたいということである。
 最後に、毎年、式典会場の設営に佐世保教育隊、そしてラッパ隊の派出等、海上自衛隊の現役の皆様に、大変なお世話をいただいていることに心から感謝します。(大平副会長)

 

平成28年度佐世保水交会定期総会

佐 総会(28.4.9) 物故者に対する黙祷・新入会員紹介

 ~事業報告・収支決算報告・新年度事業計画~

 佐世保地方総監講演・懇親会・新会長挨拶

 佐世保水交会は、新緑の若葉が美しい4月9日(土)富士国際ホテルにおいて平成28年度定期総会を開催した。総会に先立ち、小林拓雄会長から三石琢磨副会長並びに松永幸也幹事に長年の水交会活動への功績に対して感謝状の贈呈があった。

 総会の冒頭で、過去1年間に鬼籍に入られた方々に対する黙祷が行われ、続いて新入会員の紹介を行った。引き続き、昨年度の事業報告及び同収支決算報告並びに新年度の事業計画等、各議案の発表があり、満場一致で了承された。

 今回は、佐世保水交会会長が交代し、赤星慶治・水交会専務理事から小林拓雄会長へ感謝状が、外村尚敏・新会長(幹候26期)に対して委嘱状の伝達が行われた。

 講演は、山下万喜・佐世保地方総監による「西海の護り 三つのサポート」という演題で、その3つのサポートは、佐世保警備区内の造修、補給などの後方支援能力の充実を図る部隊支援、隊員が後顧の憂いなく任務に邁進できるよう家族支援策を充実強化する家族支援、地域コミュニティーとの更なる連携に取り組む地域支援に関する極めて具体的なものであった。佐世保地方隊の現任務又は安全保障問題に関する演題ではなく初めての試みということもあり、朝長市長をはじめ多くの諸団体の長の方々が前列で熱心に聴き入っていた。まさに、「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」(筑前、現在の福岡の勤王志士であった平野国臣 作)という歌を思い出すほど山下総監の熱き思いが皆に伝わってくる講演であった。(『幕末が激動する万延元年の作であり、心の内にある熱い尊王攘夷への情熱に比べてみるとあの黒黒と噴き上げている桜島の煙など、まだまだ薄いものよ。』という歌意である。)

 新会長に着任した私は、懇親会での挨拶の中で水交会の「名称の由来」、「起源等」を紹介し、今後、佐世保水交会が取り組むべき事柄について開陳した。

 その喫緊の課題は「会勢の拡充」であると強調した。佐世保支部のステータスの向上とは裏腹に、海上自衛隊を退職された後、水交会への入会者数が減少傾向をたどっており、今年3月末現在、会員数は251名である。このような現状に鑑み、佐世保水交会創設当時、平成14年の270名を超えることを目標とすること、次に『水交会の会員になって本当に良かった。』と思えるような魅力ある組織作りを目指し、その結果、会員数が増加するようにしたいと述べるとともに、在任期間中、特に、海上自衛隊と町や諸団体との架け橋となれるよう汗をかいていく覚悟があることを述べ、加えて佐世保水交会に対する会員諸氏の惜しみない協力をお願いして挨拶とした。(佐世保水交会会長外村尚敏記)

海軍兵学校針尾分校の碑の維持管理

 佐280116針生分校の碑佐世保水交会は、平成28年1月16日(土)、「海軍兵学校針尾分校の碑」の清掃作業を実施した。

 戦雲急を告げる昭和20年3月1日に海軍兵学校の分校として針尾分校が開校(現ハウステンボス内)し、外地を含めた全国の中学から9万人を越える若者たちが応募し、最終的に4千48名が合格、愛国心で満ち溢れた海軍兵学校第78期の若人たちは、4月3日に入校するとすぐに勉学・訓練を開始した。しかし、敵の九州上陸を考慮し、わずか3か月余りで針尾分校に別れを告げ、昭和20年7月には山口県の防府分校へ移転した。 顧みれば、海軍兵学校の前身は長崎海軍伝習所に端を発し、1855年に江戸幕府が海軍士官養成のため現在の長崎市に設立した教育機関である。以後、場所を横浜、築地、江田島へと移転を重ね、かつ名称も改称され、現在では海上自衛隊幹部候補生学校(江田島市)となっている。この針尾分校跡は、戦後、外地からの引揚者のための宿泊施設として利用され、その後は工業団地等となり、現在では、オランダの街並みを再現したテーマパークとして有名なハウステンボスとなっている。

 佐280116針尾分校の碑2さて、「海軍兵学校針尾分校の碑」は、海軍兵学校第78期生が、わずか3か月余り、起居を共にした針尾の学舎を、後世へ語り継ごうという思いから、平成4年9月にハウステンボス内の一角に建立したものである。その後、ハウステンボスからの立ち退き問題が生起し、平成17年9月、紆余曲折を経て佐世保市所轄のハウステンボス町2番4号の市道歩道橋基部への移設となり、平成18年9月から海軍兵学校第78期会から委託を受けた佐世保水交会が、同碑の維持管理(覚書)を行っているものである。また、平成27年6月30日、海軍兵学校第78期会の解散が決定し、水交会本部との覚書に基づき、引き続き佐世保水交会が、末永く維持管理等を継承することを依頼されたものである。 同碑の付近は、平成19年11月に周辺美化対策(雑草対策)の一環として、海軍兵学校第78期会が佐世保市に働きかけて、道路改造承認を得てインターロッキング舗装を施工した。しかしながら、側溝への落ち葉、同碑の傍らに立つ「ヤマモモ」や「楠」付近の雑草、或いは近くの木々からの落ち葉や枯れ枝などによって、同碑はもとより周辺の美観が損なわれるため、定期的な清掃作業は必要不可欠となっている。建立当初は、慰霊顕彰担当幹事が月1回(中旬)また、海軍兵学校第78期会の会員数名も月1回(下旬)と、清掃作業を毎月2回ずつ実施していた。最近では主として水交会会員が月1回(中旬)を標準として清掃作業を実施しており、この一角だけ美観は保たれている。

 今では開校当時の面影はないが、「海軍兵学校針尾分校の碑」の清掃作業をするたびに「海軍兵学校第78期生が、わずかな期間ではあったが、針尾の地で起居を共にし、日夜、勉学・訓練に励んでいたという史実を末永く後世に語り継いでいきたい。」との思いを新たにするのである。

(幹事長外村尚敏記)