水交掲示板
この「水交掲示板」は、公益財団法人水交会へのご意見などを広くいただくとともに、ユーザーの皆様の間での情報共有を目的として設置・運営されています。
承ったご意見は、今後の会務運営の参考とさせていただきますが、回答・返答につきましては差し控えさせていただきますので、あらかじめご了承ください。
なお、公序良俗を乱すような書き込みや、管理人が不適当と認めた書き込みにつきましては、ご本人に通告することなく削除させていただきます。
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19 件のコメント
ご質問にお答え致します。公益財団法人水交会は下総支部を有しておりますが、会長は河野ではありません。
また、水交会は会として政治的な活動は実施しておりませんのでご了解いただきたいと思います。
初めてメール致します。
わたし、徳島県の眞鍋というものです。
わたしの叔父が長崎県の針尾と言う場所の兵学校にいて、今の針尾を見たいとの事で
初夏にでも長崎を訪れようと考えております。
がGoogleMapなどを見ても兵学校の碑などどこにあるのか見当が付きません。
できましたら、所在など分かる物がありましたらご教示下さい。
また、併せて近郊の海軍に関わる跡地または碑など所在が分かりましたらご教示下さい。
叔父から出たキーワードは
・針尾
・通信塔
・魚雷
・唐津
・平戸
です。
以上ですが、よろしくおねがいいいたします。
水交掲示板をご利用いただき有難うございます。
私は水交会事務局 編集主任 古橋 と申します。お尋ねの件についていかのとおりです。
海軍兵学校針尾分校については現在のハウステンボスのある当たりとのことです。また、その記念碑は現在のJRハウステンボス駅からハウステンボスへ渡る橋の下にあるとのことです。
針尾周辺の海軍関係の記念碑、遺構についてはホーム頁で「長崎県軍事施設」「佐世保海軍遺構」等で詳しくご覧いただけます。
おじ様からお聞きのキーワードについては、
針尾:海軍兵学校針尾分校もしくは針尾海兵団(一般の新兵教育担当)の地名
通信塔:海軍の通信所、大東亜戦争開戦を令する「新高山登れ」を発信した大鉄塔
魚雷:近傍にあった「川棚魚雷艇部隊」関連
唐津、平戸:砲台等があったようです。
このほか
海軍兵学校 故地探訪 針尾
海軍三校
海兵針尾分校
長崎県軍事施設
佐世保海軍遺構
等のキーワードで検索して頂くとより詳しい記事があります。
以上
【戦死した叔父のお墓の今後をどうするか悩んでおります】
海兵66期:土屋秀人の甥で、土屋高志と申します。
おそらくご回答がしづらい内容かとは存じますが、なにがしの情報があればと思い、投稿させていただきました。お忙しいところ、申し訳ございません。
私の叔父、「土屋秀人」(海兵66期)は、乗船していた潜水艦「イ23」が、昭和17年2月に戦没認定となりました。お墓は、故郷の鹿児島市内にございます。
その後、私の父が亡くなった際、父が相続していました叔父の墓を整備し、現在は父と叔父の墓石が2つ建っております。
年月が経ち、鹿児島には家族はいない状態となりました。母も横浜の妹宅の近くに住んでおります。私の家族のみでしたら、今後のお墓の将来は決められますが、戦死した叔父の墓石もあるため、おいそれとは決められません。
独身で戦死した叔父の事を考えると、何とかしないと、とは思いますが、私を継ぐ男子がおらず、自分も茨城県に住まいを構えているため、妙案が浮かびません。
現在59歳の自分ですが、何とか70歳くらいまでは鹿児島に墓参しようとは考えていますが…。
このような場合、他の皆様はどうされているのか、情報をいただけれ幸いです。
また、この様なケースについて相談できる方がいらっしゃれば、紹介していただければと存じます。
ご多忙の折、答えようの無い質問でお手数をお掛けし、申し訳ございません。
この度は、ご丁寧な返信をいただきまして、誠にありがとうございました。
この機会に家族で話し合いをしようと思います。
お手数を取らせてしまい、申し訳ございませんした。
いただいたアドバイスで心理的にも楽になりました。
ありがとうございました。
ご情報ありがとうございます
初めてメールさせていただきます。
親戚知り合いのことではありませんが、
平成5年伏龍特攻隊の本が出版されました。
その時すべて、訓練中死亡された方たちのことを知り衝撃を受けました。
そのまま、時間がたち今に至りますが、
どうしてもその方たちの名簿が知りたくなりました。
ゼロ戦戦没者の方たちの名簿、
人間魚雷戦没者の方たちの名簿があるのに
伏龍特攻隊の方たちの名簿がわかりません。
本土決戦間近だったんでしょうが、
どこかに眠っているんではないかと探しています。
何かヒントでもあれば幸いです。
お忙しいとは思いますが、
どうかよろしくお願いいたします。
https://yokohama.hosp.go.jp/research/pdf_kenshu_news/newsletter_vol58.pdf
「海軍軍医学校戸塚分校の跡」の石碑が以前にあった横浜医療センター近くの釣具店駐車場から撤去されていますが、現在の所在はどちらでしょうか。
返信欄を間違えました。石碑に関する情報を再投稿いたします。
https://yokohama.hosp.go.jp/research/pdf_kenshu_news/newsletter_vol58.pdf
水交神社復元:呉市に寄贈
との記事タイトルを見させていただきました。
入船山公園内に鎮座する水交神社について教えてください。
史跡として復元されたと、案内板には書かれています。
「史跡」ということは、神社として御祭神は奉られていなくて形のみ社殿が復元されて置かれているのでしょうか。
祭祀がされているわけではないのでしょうか。教えてください。
先月、呉へ初めて行きました。
戦時中、母と祖父母が呉にいたため一度は訪れてみたかったのです。
祖父は海軍所属(少尉)ですが、海軍兵学校卒のエリートではありません。
遠泳や柔道、山登りなど運動能力が飛び抜けて良かったため少尉(戦後中尉?)にまでなれたと生前言っていました。江田島にいたとか。勤務でか。明治の終わり頃の生まれです。
海軍兵学校でないならどういうルートでそうなったのか知りたいです。
こちらはついでなのですが、もしご存知でしたらそれも教えていただけるとありがたいです。
先月、入船山公園へ行ったときに、火薬庫の近くに設置展示されている砲身の筒先が、
水交神社の背後を狙うような位置を向いて置かれているのを見ました。
とても気になりました。ご存知でしょうか。
向きを少しずらすだけでもできないものなのかなと思いました。
調べてみましたが、祖父に関しては「特務士官」だったのかなと。
志願で海軍の海兵団に入団して水兵からのたたき上げで下士官になり、
特務士官に。
戦争の終盤には「特務」という呼称がなくなるが、実質は「特務士官たる少尉・中尉」のままであったのかと。
第80回定例会の案内
梅の便りが聞かれる今日この頃ですが皆様にはお元気でお過ごしのことと存じます。
今回の講師は、大阪市立大学名誉教授の山下英次氏にお願い致しました。特に先の大東亜戦争に焦点をあて、当時の世界情勢を踏まえて、日本が戦争に突入せざるを得なかった状況等に関してのお話です。
今迄もいろいろな方が取り上げられた命題ですが、通常の戦史家とは一味異なる観点からのお話になると思われ、大変興味ある、重要なテーマであると思います。
是非多数の皆様にご参加頂きたくご案内申し上げます。
記
1 講師 : 山下英次 大阪市立大学名誉教授・経済学博士 、国際歴史論戦研究所(iRICH)所長
2 演題 : 「第2次大戦とはどのような戦争であったのか」−日本は何故大東亜戦争を戦う事になったのか
3 講師略歴 : 1947年東京生まれ、1970年慶應義塾大学経済学部卒業。旧東京銀行に入行し調査部、 国際投資部、海外部などに勤務後、1988年大阪市立大学に移籍。同大学大学院経済学研究科教授を経て、現在、国際通貨研究所(IIMA)客員研究員。アパ日本再興財団の懸賞論文「真の近現代史観」で4回入賞(2014、2015、2016、2018年)。
4 著 書:『国際通貨システムの体制転換』(東洋経済新報社、2010年)、『ヨーロッパ通貨統合—その成り立ちとアジアへのレッスン』(勁草書房、2002年)など
5 日時 平成31年3月13日(水) 受付開始 午後6時00分〜 開 演 午後6時30分〜
6 場所 銀座 カフェ ジュリエ (Cafe Julliet)
東京都中央区銀座5-13-16東銀座三井ビル1F 03-3543-3151
東京メトロ 東銀座駅4番出口徒歩1分
(東銀座駅出口4番三原橋交差点から昭和通りを歌舞伎座とは反対方向へ54メートル)
7 参加費 2、500円 会員は2,000円(いずれも1,000円の寄付を戴ける場合)、学生は1,000円、高校生以下は無料
講演終了後(午後8時半頃)に軽い懇親会(1時間程度、会費2,000円)を講演会場で行います。お時間のある方は是非ご参加下さい。
講演会及び懇親会に御参加希望の方は、3月7日(木)までに原則としてメールにてお申し込みください。
*FAXにてお申し込みの場合はご記入後、本ページを切り取らずに送信して下さい。
2月7日(木)の定例会に参加します。 懇親会( 出席 、欠席 ) どちらかに○印
ご 氏 名
ご 住 所
電話 Fax:
E-mail
★★連絡先★★
NPO法人日本を護る会事務所
FAX:03-3985-1008
e-mail: awake-japan@googlegroups.com
HP: http://awake-japan.sakura.ne.jp/
総務主任 武田功様へ
先日の海防艦戦没者慰霊祭お世話ありがとうございました。
さらに集合写真の郵送ご丁寧にありがとうございます。
もしよろしければ、写真をメールでも送信お願いできないでしょうか?
当地(兵庫県香美町香住)では近海で沈没した、第13号海防艦と第47号海防艦の戦没者慰霊祭を香住JCが主催して営まれております。
これからも続ける予定ですので、その資料に写真を使う予定です。
よろしくお願いいたします。
香住JC OB会 今西康喜
お疲れさまです。 少々お尋ねしたい件が有りますのでお願い致します❗私は、昭和59年4月横教の練習員課程34分隊吉原班長にお世話になった者ですが、アルバムも親に処分されてしまい、同期と連絡手段が有りません。 皆さん入会されてるのでしょうか? もう、はや55才となり同期はどうされてるのかと、思う今日このごろです! 入会されてるのでしょうか?
「苦心の足跡」第2巻「掃海」をFaceBook等のSNSで公開したいのですが如何でしょうか?
初めてご連絡させていただきます。現在戦時中の建築物についての研究を行っている学生です。私の研究する建築物が海軍からの嘱託で行われていたという記述があり、貴会の所有する資料を閲覧したいと考えているのですが閲覧室のようなものは存在するのでしょうか。また、直接伺うことなどは可能なのでしょうか。
教えていただけると幸いです。
はじめまして。祖父が兵学校出身で、その関係で戦前も戦後も祖母が何かの用事で水交社に出入りしていたようです。私の親はよくそのお供をさせられていたそうです。近頃は高齢になり、自身の両親の事をよく思い出す様になりました。そこでお尋ねしたいのですが、現在は例えば私の親や私のような立場の者(海軍省の者の子と孫)は建物の中の、例えば資料館ですとか喫茶店室のようなものを利用することができるのでしょうか?また写真の展示などで拝見できるものなどはあるのでしょうか?
あまりにも見当違いな質問かもしれず、失礼致します。場所はずっと変わらずだと思いますので、もし関係者のみ入館可だとしても、親は外からや神社付近を歩くだけでも当時を偲べるだろうと思います。
初めまして。 特潜会の事でお尋ねします。
私の父、小笠原 弘 2017年永眠しましたが2015年くらいまで何度か付き添いで横浜、新橋に特潜会の集まりに同席したりしていました。その時の幹事様は千葉の田上栄一様でした(会の葉書での案内まだ有ります)
10名位の出席者でした。
鎌倉、四国の方とか覚えております。私もそろそろ身の回りの片付けと思い整理していた処、何十年ぶりに蛟竜の鉄製の模型が出てきました、
改めて特殊潜航艇、特潜会の事を考えて あの集まって居た方々のご存命は と思いコメントさせて頂きました。田上様はお亡くなりに成ったと存じ上げています。
父は海龍で倉橋島で特攻訓練している中 終戦を迎えたと話ていました。
で何故に蛟竜の模型を持っていたのか とか三名の乗組員と一緒に訓練は海龍?蛟竜?
特潜会は未だ集まりが読いて居るのか知りたく お判りの方いらしゃいましたら教え頂たいと思います。