令和6年8月15日(第49回全国戦歿者慰霊大祭、第38回戦歿者追悼中央国民集会)
○ 09:00~09:40 第49回全国戦没者慰霊大祭
台風7号が近づいておりましたが、晴天の下、英霊にこたえる会主催の第49回全国戦歿者慰霊大祭が斎行され、水交会からは河野理事長と徳丸事務局長が参列しました。
祭事に先立ち、参集殿において、大塚宮司からは、今年も慰霊団体の皆様が参拝いただけることはありがたいことです、との感謝の意が表されました。
拝殿においては、台風の影響からか風もあり、幾分過ごしやすい中での祭事でした。国歌斉唱・修祓・献饌の後、明治維新から大東亜戦争までの英霊に対して祝詞が奏上され、続いて英霊にこたえる会の古庄幸一会長が祭文を奏上、その後、本殿に移動し代表者が玉串を奉奠し滞りなく祭事を終了しました。
祭文では、わが国を取り巻く安全保障環境が戦後最も厳しく複雑なものとなっていることが指摘されておりました。会長は、このような状態であるからこそ、我が国としては、早急に憲法を改正し、国防のあり方に関し、現実的な改革の具現化が必要であり、これこそが我が国の未来を信じて、散華された英霊に報いるものであると述べられました。そして、会長は昭和50年11月21日を最後に途絶えたままになっている靖國神社への天皇陛下御親拝の再開と、これがための有事の最高指揮官である総理、そして閣僚による靖國神社参拝の定着化を訴えました。
靖國神社拝殿
○ 10:30~12:30 第38回戦歿者追悼中央国民集会(英霊にこたえる会・日本会議主催) 靖國会館
1 国歌斉唱に続き靖國神社拝礼、終戦の詔書拝聴のあと主催者代表が挨拶
① 英霊にこたえる会会長 古庄 幸一
正論の中で新保さんが「玉疵も瘤となりたるさくら哉」という歌をタイトルにして、今日は何の日かということを書いておられました。意味は、戦争の時に弾が当たって傷を受けた桜の木のそこが今大きな瘤になっているけれど、花は毎年咲いているということです。やはり我々は、80年経とうが、あるいは100年、200年と経っても、これを忘れてはいけない。今、私が担当しております英霊にこたえる会が、若い人たちに大東亜戦争という史実をしっかりと伝えていく必要があるのではないか。戦争は全部悪、軍人は全部悪、そういう言い方をされて、総理は一度も靖國にお参りされない。ですから、本来ぜひ総理には全く憲法違反ではないので、靖國に参拝してもらいたいと私は伝えたい。
② 日本会議政策委員長 百地 章
自衛隊の明記を含む憲法改正がようやく現実味を帯びてきましたが、その動きを封じようとするかのごとく、左翼メディアは、自衛隊員の靖國神社参拝を批判し、阻止しようとする動きが出てきました。幸い、木原防衛大臣は、陸幕副長等の参拝は部隊としての参拝ではなく、防衛事務次官通達には違反しないとしました。本件通達は、靖國神社国家護持法案をめぐって対立が続いていた昭和49年に、厳格な政教分離の立場にたって出されたものです。その後、最高裁は緩やかな限定分離の立場に立った判決を積み重ねており、昭和60年に政府は首相の靖國参拝を合憲とする見解を確認しました。靖國参拝の自由はすべての国民に保障されています。よりによって自衛隊については制限し、否定する、それがこの通達でした。しかしながら、我が国の平和と独立を守るため任務を遂行している自衛隊員の靖國神社に対する思いには特別なものがあるはずです。そのことを思えば、彼らの参拝の自由を明記し、保障するのは当然のことです。のみならず、英霊を始め、ご遺族の方々、それと常識ある多くの国民が心から念願しているのが天皇陛下の靖國神社のご親拝です。それ故、速やかに首相の靖國神社参拝を実現し、それが陛下の靖國神社ご親拝に繋がることを心から念願いたします。
2 各界代表の提言
① 自民党衆議院議員 石川 昭政
総理は、通常国会の冒頭、自分の任期中に憲法改正を実現するのだということを改めて発表されました。現在は緊急事態条項を中心に話が進んでおり、 9条の改正、自衛隊の憲法への明記というものは後ずさりするような格好になっています。私は非常に懸念を持っております。
自民党は、今回の国民の皆様への信頼回復のためには、なんとしても一から出直し、そして国民の皆様の信頼を回復することが大事です。若手も女性も総裁選に手を上げて、一丁目一番地の憲法改正を、ぜひこの総裁選で論争を行って、そして新しい総裁の下で発議をし、国民投票へと一気に突き進んでいきたいと思っております。
② 李登輝友の会理事 李 久惟
私の日本留学に際しての祖父のたっての願いが靖國神社の参拝でした。
靖國神社には、246万余柱の英霊たち、その内2万8千余柱の台湾の英霊が眠っております。先の大戦で台湾から大東亜戦争に 21万人が戦場に赴き、日本人と一緒に戦いました。
台湾には日本精神という言葉があります。これは私の幼少の頃は、祖父母である日本教育を受けた時代の方たちからは褒め言葉として使われます。律儀、勤勉で、利他の心を持っている日本人なので、それを日本精神を持っていると、褒め言葉として使っていました
異民族である他人を変えることは容易ではありません。しかし、50年間の日本統治の間に台湾は大きく変わりました。今の台湾をご覧になってほしい。日本統治が終わった頃には国としての機能、そして人材が全て揃っていました。ものづくりだけではなく、その精神に至るまで、すなわち、ねじ1本の緩みを許さないようなものづくりをする人たちが残って、今日のIT産業、ICチップを製造している。日本精神が繋いできた後継世代の育成が、我々に課せられる責任と義務であるということを、台湾の祖父母たちが伝えました。
③ 女流講談師 神田 蘭
私は何か日本って壊れてきているのではないかと思っている時に、講談でフィクションを語っている場合なのだろうかと考えました。その時にある歴史学者が、日本がおかしくなったのは、学校で古事記や日本書記という神話を教えなくなったからだと言いました。例えば仁徳天皇の話の「民のかまど」です。仁徳天皇が高台に上がりまして町を見下ろしますと、ご飯時だというのに民家から煙が上がっていない。あまりにも皆が貧しくて、ご飯時だというのに食料を買うお金がない。そこで仁徳天皇は税金を徴収するのを3年やめます。仁徳天皇だって着物がボロボロになるまで着て、宮殿だって修繕できないでいました。3年になりまして、家臣がそろそろ徴収してはいかがでしょうかと来るのですけれども、仁徳天皇はさらに3年税を免除するといって、通算6年免除して、やっと民が豊かになって、民の気持ちで宮殿を建て替えるというお話です。この教授はこう続けました。これが本当にあったかどうかは、それは問題ではない。為政者、人の上に立つ者は、どういう行いをするべきなのかということがここには描かれている。人間がどうやって生きるべきなのか、何を大切にして生きるべきなのかが書かれているのが、語り継がれてきた古事記であり日本書記です。それを教えなくなったからだと言われました。
3 武道館での追悼式に合わせて、戦歿者への黙とう ※追悼式には河野理事長が参列
4 天皇陛下のお言葉拝聴
5 声明文朗読(大学学生)
憲法改正、総理の靖國神社参拝、天皇の靖國神社ご親拝に向けた国民運動の展開
6 「海ゆかば」斉唱
以上で、第38回戦没者追悼中央国民集会は閉会しました。